からではなかろうか。既に近松門左衛門の『女殺油地獄』の中に――五月五日は女は家と昔から――という文句があるが、これも印地打のために女子供が怪我をするといけないから表へ出るなと、戒めたものであるらしい。
またそれほど烈《はげ》しければこそ、多くの怪我人も出来て、後には禁止されたのである。
六
荒々しいといえば、五月人形の内、鍾馗《しょうき》にしろ金時《きんとき》にしろ、皆勇ましく荒々しいものだが、鍾馗は玄宗皇帝の笛を盗んだ鬼を捉《とら》えた人というし、金時は今も金時山に手玉石という大きな石が残っている位強かったというが、その子の金平《きんぴら》も、きんぴら牛蒡《ごぼう》やきんぴら糊に名を残したばかりか、江戸初期の芝居や浄瑠璃には、なくてはならない大立者《おおだてもの》だ。この浄瑠璃を語り初めた和泉太夫というのは、高座へ上るには二尺余りの鉄扇を持って出て、毎晩舞台を叩きこわしたそうだが、そんな殺伐なことがまだ戦国時代の血腥《ちなまぐさ》い風の脱け切らぬ江戸ッ子の嗜好《しこう》に投じて、遂には市川流の荒事《あらごと》という独特な芸術をすら生んだのだ。
荒事といえば二代
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