屋が、これも美《い》い声で淫猥な唄ばかり歌って、好く稲荷鮨《いなりずし》を売りに来たものだった。

       四

 明治も十年頃になると物売りもまた変って来て、隊長の鳥売りなぞといって、金モールをつけた怪しげな大礼服を着て、一々|言立《ことだ》てをするのや、近年まであったカチカチ団子と言う小さい杵《きね》で臼《うす》を搗《つ》いて、カチカチと拍子を取るものが現われた。また、それから少し下《くだ》っては、落語家のへらへらの万橘が、一時盛んな人気だった頃に、神田台所町の井戸の傍だったかに、へらへら焼一名万橘焼というものを売り出したものがいて、これが大層好く売れたものであったそうだ。
 昔のことをいえば限りがないが、物価も今より安かっただけ、いろいろ馬鹿げた事を考え出す者が多かった故か、物売りにまで随分変ったものがあった。とにかくその頃の女の髪結《かみゆい》銭が、島田でも丸髷《まるまげ》でも百文(今の一銭に当る)で、柳橋のおもと[#「おもと」に傍点]といえば女髪結の中でも一といわれた上手だったが、それですら髪結銭は二百文しか取らなかった。今から思えば殆《ほと》んど夢のような気がする。忙
前へ 次へ
全9ページ中5ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
淡島 寒月 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング