ってやったりするところを見せたものなぞがあったものである。

       三

 私の生れた馬喰町《ばくろちょう》の一丁目から四丁目までの道の両側は、夜になるといつも夜店が一杯に並んだものだった。その頃は幕府|瓦解《がかい》の頃だったから、八万騎をもって誇っていた旗本や、御家人《ごけにん》が、一時に微禄《びろく》して生活の資に困ったのが、道具なぞを持出して夜店商人になったり、従って芝居なぞも火の消えたようなので、役者の中にはこれも困って夜店を出す者がある位で、実に賑《にぎ》やかなものだったが、それらの夜店商人が使う蝋燭《ろうそく》は、主に柳橋の薩摩《さつま》蝋燭といって、今でも安いものを駄蝋《だろう》という位、酷《ひど》いものだが、それを売りに来る男で歌吉というのがあった。これがまた、天性の美音で「蝋燭で御座いかな」と踊るような身ぶりをして売って歩いたが、馬喰町の夜店が寂《さび》れると同時に、鳥羽絵《とばえ》の升落《ますおと》しの風をして、大きな拵らえ物の鼠を持って、好く往来で芸をして銭を貰っていたのを覚えている。美音で思い出したが、十軒店《じっけんだな》にも治郎公なぞと呼んでいた鮨
前へ 次へ
全9ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
淡島 寒月 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング