の店で、大きな瓢箪《ひょうたん》や橋弁慶《はしべんけい》なぞを飴でこしらえて、買いに来たものは籤《くじ》を引かせて、当ったものにそれを遣《や》るというので、私などもよく買いに行ったものだが、いつも詰《つま》らない飴細工ばかり引き当てて、欲しいと思う橋弁慶なぞは、何時《いつ》も取ったことがなく落胆《らくたん》したものだった。
 物売りの部へ入れるのは妙だが、神田橋本町の願人坊主《がんにんぼうず》にも、いろいろ面白いのがいた。決してただ銭を貰《もら》うという事はなく、皆何か芸をしたものだけに、その時々には様々な異ったものが飛出したもので、丹波の荒熊だの、役者の紋当て謎解き、または袋の中からいろいろな一文《いちもん》人形を出して並べ立てて、一々言い立てをして銭を貰うのは普通だったが、中には親孝行で御座《ござ》いといって、張子の人形を息子に見立てて、胸へ縛《しば》り付け、自分が負《お》ぶさった格好をして銭を貰うもの――これは評判が好くて長続きした。半身肌脱ぎになって首から上へ真白に白粉を塗って、銭湯の柘榴口《ざくろぐち》に見立てた板に、柄のついたのを前に立て、中でお湯を使ったり、子供の人形を洗
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