われて、西洋人が讃美し憧憬する広重の錦絵《にしきえ》に見る、隅田の美しい流れも、現実には煤煙《ばいえん》に汚れたり、自動車の煽《あお》る黄塵《こうじん》に塗《まみ》れ、殊に震災の蹂躙《じゅうりん》に全く荒れ果て、隅田の情趣になくてはならない屋形船《やかたぶね》も乗る人の気分も変り、型も改まって全く昔を偲《しの》ぶよすがもない。この屋形船は大名遊びや町人の札差《ふださ》しが招宴に利用したもので、大抵は屋根がなく、一人や二人で乗るのでなくて、中に芸者の二人も混ぜて、近くは牛島、遠くは水神の森に遊興したものである。
◇
向島は桜というよりもむしろ雪とか月とかで優れて面白く、三囲《みめぐり》の雁木《がんぎ》に船を繋《つな》いで、秋の紅葉を探勝することは特によろこばれていた。季節々々には船が輻輳《ふくそう》するので、遠い向う岸の松山に待っていて、こっちから竹屋! と大声でよぶと、おうと答えて、お茶などを用意してギッシギッシ漕《こ》いで来る情景は、今も髣髴《ほうふつ》と憶《おも》い出される。この竹屋の渡しで向島から向う岸に渡ろうとする人の多くは、芝居や吉原に打興《うちきょう》じよう
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