簪《かんざし》とか、紋印がしてある扇子《せんす》や櫛《くし》などを身に飾って狂喜したものだ。で役者の方でも、狂言に因《ちな》んだ物を娘たちに頒《わか》って人気を集めたもので、これを浅草の金華堂《きんかどう》とかいうので造っていた。当時の五代目菊五郎の人気などは実に素晴らしいもので、一丁目の中村座を越えてわざわざ市村座へ通う人も少くなかった。
       ◇
 前述もしたように、とにかく江戸時代は暗かった。だが文明は光を伴うものである。我国には古くから八間という燈《あかり》があった。これは寺院などに多くあるもので、実際は八間はなかったが、かなり大きいのでこの名がある。また当時よく常用されたものに蝋台《ろうだい》がある。これは蝋燭《ろうそく》を灯すに用い多く会津《あいづ》で出来た、いわゆる絵ローソクを使ったもので、今日でも東本願寺など浄土宗派のお寺ではこれを用いている。中には筍形《たけのこがた》をしたのもあった。また行燈に入れるものに「ひょうそく」というものを用いた。それから今でも奥州方面の山間へ行くとある「でっち」というものが使われた。それは松脂《まつやに》の蝋で練《ね》り固めたもので
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