共に賞美され、私たちの子供の時分には、日本橋横山町二丁目の鍵屋《かぎや》という花火屋へせっせと買いに通ったものである。
◇
芝居について見るも、今日の如く照明の発達した明るい中で演ずるのではなく、江戸時代は全くの暗闇で芝居しているような有様であったので、昔は面《つら》あかりといって長い二間もある柄のついたものを、役者の顔前に差出して芝居を見せたもので、なかなか趣きがあった。人形芝居にしても、今日は明るいためにかえって人形遣いの方が邪魔になってよほど趣きを打壊すが、昔は暗い上に八つ口だけの赤い、真黒な「くろも」というものを着附けていたので目障《めざわ》りではなかった。あるいは木魚《もくぎょ》や鐘を使ったり、またバタバタ音を立てるような種々の形容楽器に苦心して、劇になくてはならない気分を相応に添えたものである。芝居の時間も長くはね[#「はね」に傍点]は十二時過ぎから一時過ぎに及び、朝も暗い中《うち》から押《おし》かけて行くという熱心さで、よく絵に見かける半身を前に乗り出すようにして行く様があるが、どんなに一生懸命であったかを実証している。
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昔はまた役者の
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