かりを伴うものである。元禄時代の如きは非常に明《あかる》い気持があったがやはり江戸時代は暗かった。
       ◇
 花火について見るも、今日に較《くら》ぶればとても幼稚なもので、今見るような華やかなものはなかった。何んの変哲も光彩もないただの火の二、三丈も飛び上るものが、花火として大騒ぎをされたのである。一体花火は暗い所によく映《は》ゆるものであるから、今日は化学が進歩して色々のものが工夫されているが、同時に囲りが明るくされているので、かえってよく環境《かんきょう》と照映しない憾《うら》みがある。
       ◇
 昔から花火屋のある処は暗いものの例となっている位で、店の真中に一本の燈心を灯し、これを繞《めぐ》って飾られている火薬に、朱書《しゅがき》された花火という字が茫然と浮出《うきだ》している情景は、子供心に忘れられない記憶の一つで、暗いものの標語に花火屋の行燈《あんどん》というが、全くその通りである。当時は花火の種類も僅《わず》かで、大山桜とか鼠というような、ほんのシューシューと音をたてて、地上にただ落ちるだけ位のつまらない程度のもので、それでもまたミケンジャクや烏万燈等と
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