考えると、暫《しばら》くの間に変ったものです。奥山は僕の父|椿岳《ちんがく》さんが開いたのですが、こんな事がありましたっけ。確かチャリネ[#「チャリネ」に傍点]の前かスリエ[#「スリエ」に傍点]という曲馬が――明治五年でしたか――興行された時に、何でもジョーワニという大砲を担《かつ》いで、空砲を打つという曲芸がありまして、その時|空鉄砲《からでっぽう》の音に驚かされて、奥山の鳩が一羽もいなくなった事がありました。奥山見世物の開山は椿岳で、明治四、五年の頃、伝法院《でんぼういん》の庭で、土州《どしゅう》山内容堂《やまのうちようどう》公の持っていられた眼鏡《めがね》で、普仏戦争の五十枚続きの油画を覗《のぞ》かしたのでした。看板は油絵で椿岳が描いたのでして、確かその内三枚ばかり、今でも下岡蓮杖《しもおかれんじょう》さんが持っています。その覗眼鏡《のぞきめがね》の中でナポレオン三世が、ローマのバチカンに行く行列があったのを覚えています。その外廓《がいかく》は、こう軍艦の形にして、船の側の穴の処に眼鏡を填《は》めたので、容堂公のを模して足らないのを駒形の眼鏡屋が磨《す》りました。而《しか》して軍
前へ 次へ
全7ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
淡島 寒月 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング