華といったら、大したもので、弁天の開帳の時などは、万燈《まんとう》が夥《おびただ》しく出て、朝詣《あさまいり》の有様ったらありませんでしたよ。松本喜三郎の西国三十三番観音の御利益《ごりやく》を人形にして、浅草で見世物にしたのなど流行った。何時《いつ》だったか忘れたが、両国の川の中で、水神祭というのがあった。これには、の[#「の」に傍点]組仕事師中の泳ぎの名人の思付《おもいつ》きで、六間ばかりの油紙で張った蛇体の中に火を燈《とも》し、蛇身の所々に棒が付いてあるのを持って立泳ぎをやる。見物がいくばくとも数知れず出たのでしたか轣Aちょっと見られぬ有様でして、終《しま》いには柳橋の芸者が、乙姫《おとひめ》になってこの水神祭に出るという騒ぎでした。確か言問団子《ことといだんご》が隅田川で燈籠流《とうろうなが》しをした後で、その趣向の変形したもののようでした。当時の両国は、江戸|錦絵《にしきえ》などに残っているように大したもので、当時今の両国公園になっている辺は西両国といって、ここに村右衛門という役者が芝居をしていた。私の思うのには、村右衛門が河原物《かわらもの》といわれた役者の階級打破に先鞭《せ
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