やもう十一時過ぎだ。』
『どうせ徹夜でさあ。』
秋山は一向平気である。杯を見つめて、
『しかし君が眠けりゃあ寝てもいい。』
『眠くはちっともない、君が疲れているだろうと思ってさ。僕は今日《きょう》晩《おそ》く川崎を立って三里半ばかしの道を歩いただけだから何ともないけれど。』
『なに僕だって何ともないさ、君が寝るならこれを借りていって読んで見ようと思うだけです。』
秋山は半紙十枚ばかりの原稿らしいものを取り上げた。その表紙には『忘れ得ぬ人々』と書いてある。
『それはほんとにだめですよ。つまり君の方でいうと鉛筆で書いたスケッチと同《おんな》じことで他人《ひと》にはわからないのだから。』
といっても大津は秋山の手からその原稿を取ろうとはしなかった。秋山は一枚二枚|開《あ》けて見てところどころ読んで見て、
『スケッチにはスケッチだけのおもしろ味があるから少し拝見したいねエ。』
『まアちょっと借して見たまえ。』
と大津は秋山の手から原稿を取って、ところどころあけて見ていたが、二人はしばらく無言であった。戸外《そと》の風雨の声がこの時今さらのように二人の耳に入った。大津は自分の書いた原稿を見つ
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