めたままじっと耳を傾けて夢心地《ゆめごこち》になった。
『こんな晩は君の領分だねエ。』
秋山の声は大津の耳に入《い》らないらしい。返事もしないでいる。風雨の音を聞いているのか、原稿を見ているのか、はた遠く百里のかなたの人を憶《おも》っているのか、秋山は心のうちで、大津の今の顔、今の目元はわが領分だなと思った。
『君がこれを読むよりか、僕がこの題で話した方がよさそうだ。どうです、君は聴《き》きますか。この原稿はほんの大要《あらまし》を書き止めて置いたのだから読んだってわからないからねエ。』
夢からさめたような目つきをして大津は目を秋山の方に転じた。
『詳しく話して聞かされるならなおのことさ。』
と秋山が大津の目を見ると、大津の目は少し涙にうるんでいて、異様な光を放っていた。
『僕はなるべく詳しく話すよ、おもしろくないと思ったら、遠慮なく注意してくれたまえ。その代わり僕も遠慮なく話すよ。なんだか僕の方で聞いてもらいたいような心持ちになって来たから妙じゃあないか。』
秋山は火鉢に炭をついで、鉄瓶《てつびん》の中へ冷めた煖陶《かんびん》を突っ込んだ。
『忘れ得ぬ人は必ずしも忘れてかなうま
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