早くもその年の夏期休課《なつやすみ》が来た。すると一日、桂が僕の下宿屋へ来て、
「僕は故郷《くに》に帰《い》ってこうかと思う。じつはもうきめているのだ」という意外な言葉。
「それはいいけれども君……」と僕はすぐ旅費|等《とう》のことを心配して口を開くと
「じつは金もできているのだ。三十円ばかり貯蓄しているから、往復の旅費と土産物《みやげもの》とで二十円あったらよかろうと思う。三十円みんな費《つか》ってしまうと後で困るからね」というのを聞いて僕は今さらながら彼の用意のほどに感じ入った。彼の話によると二年前からすでに帰省の計画を立ててそのつもりで貯金したとのこと。
 どうだ諸君! こういうことはできやすいようで、なかなかできないことだよ。桂は凡人だろう。けれどもそのなすことは非凡ではないか。
 そこで僕もおおいに歓《よろこ》んで彼の帰国を送った。彼は二年間の貯蓄の三分の二を平気で擲《なげう》って、錦絵《にしきえ》を買い、反物《たんもの》を買い、母や弟《おとと》や、親戚の女子供を喜ばすべく、欣々然《きんきんぜん》として新橋を立出《た》った。
 翌年、三十一年にめでたく学校を卒業し、電気部の技
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