いる。
「江藤さん、」と返事が無いから、少女は今一度、やはり小声で呼んだ。
 障子がすっと開いたかと思うと、年若い姿が腰から上を現わして、
「誰《どな》た?」
「私《わたし》。」
「オヤ、田川《たがわ》さん。」
「少し用事が有《あっ》て来たのよ、最早《もう》お寝《やすみ》?」
「オヤそう、お上がんなさいよ、でも未だ十時が打たないでしょう。」
「晩《おそ》く来てお気の毒様ねエ」と少女は少しもじもじして居る。
 二階の女の姿が消えると間もなく、下の雨戸を開ける音がゴトゴトして、建付《たてつけ》の曲《ゆが》んだ戸が漸《やっ》と開いた。
「オヤ好い月だね、田川さんお上がんなさいよ」という女は今年十九、歳には少し老けて見ゆる方なるがすらりとした姿の、気高い顔つき、髪は束髪に結んで身には洗曝《あらいざらし》の浴衣を着けて居る。
「ちょっと平岡《ひらおか》さんに頼まれて来た用があるのよ、此処でも話せますよ、もう遅いもの、上ると長座《ながく》なるから。……」と今来た少女は言って、笑を含《ふくん》んでいる。それで相手《あいて》の顔は見ないで、月を仰《あおい》だ目元は其丸顔に適好《ふさわ》しく、品の好い愛
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