》して其《それ》以上《いじやう》のことは思《おも》はなかつたに違《ちが》ひない。
 處《ところ》が其夜《そのよ》、女中《ぢよちゆう》[#「女中《ぢよちゆう》」は底本では「女中《ぢうちゆう》」]どもが僕《ぼく》の部屋《へや》に集《あつま》つて、宿《やど》の娘《むすめ》も來《き》た。お絹《きぬ》の話《はなし》が出《で》て、お絹《きぬ》は愈々《いよ/\》小田原《をだはら》に嫁《よめ》にゆくことに定《き》まつた一|條《でう》を聞《き》かされた時《とき》の僕《ぼく》の心持《こゝろもち》、僕《ぼく》の運命《うんめい》が定《さだま》つたやうで、今更《いまさら》何《なん》とも言《い》へぬ不快《ふくわい》でならなかつた。しからば矢張《やはり》失戀《しつれん》であらう! 僕《ぼく》はお絹《きぬ》を自分《じぶん》の物《もの》、自分《じぶん》のみを愛《あい》すべき人《ひと》と、何時《いつ》の間《ま》にか思込《おもひこ》んで居《ゐ》たのであらう。
 土産物《みやげもの》は女中《ぢよちゆう》や娘《むすめ》に分配《ぶんぱい》してしまつた。彼等《かれら》は確《たし》かによろこんだ、然《しか》し僕《ぼく》は嬉《うれ》しくも何《なん》ともない。
 翌日《よくじつ》は雨《あめ》、朝《あさ》からしよぼ/\と降《ふ》つて陰鬱《いんうつ》極《きは》まる天氣《てんき》。溪流《けいりう》の水《みづ》増《ま》してザア/\と騷々《さう/″\》しいこと非常《ひじやう》。晝飯《ひるめし》に宿《やど》の娘《むすめ》が給仕《きふじ》に來《き》て、僕《ぼく》の顏《かほ》を見《み》て笑《わら》ふから、僕《ぼく》も笑《わら》はざるを得《え》ない。
『貴所《あなた》はお絹《きぬ》に逢《あ》ひたくつて?』
『可笑《をか》しい事《こと》を言《い》ひますね、昨年《さくねん》あんなに世話《せわ》になつた人《ひと》に會《あ》ひたいのは當然《あたりまへ》だらうと思《おも》ふ。』
『逢《あ》はして上《あ》げましようか?』
『難有《ありがた》いね、何分《なにぶん》宜《よろ》しく。』
『明日《あした》きつとお絹《きぬ》さん宅《うち》へ來《き》ますよ。』
『來《き》たら宜《よろ》しく被仰《おつしやつ》て下《くだ》さい、』と僕《ぼく》が眞實《ほんたう》にしないので娘《むすめ》は默《だま》つて唯《た》だ笑《わら》つて居《ゐ》た。お絹《きぬ》は此娘《このむす
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