ふと僕《ぼく》は慊《いや》になつてしまつた。一口《ひとくち》に言《い》へば、海《うみ》も山《やま》もない、沖《おき》の大島《おほしま》、彼《あ》れが何《なん》だらう。大浪《おほなみ》小浪《こなみ》の景色《けしき》、何《なん》だ。今《いま》の今《いま》まで僕《ぼく》をよろこばして居《ゐ》た自然《しぜん》は、忽《たちま》ちの中《うち》に何《なん》の面白味《おもしろみ》もなくなつてしまつた。僕《ぼく》とは他人《たにん》になつてしまつた。
 湯原《ゆがはら》の温泉《をんせん》は僕《ぼく》になじみ[#「なじみ」に傍点]の深《ふか》い處《ところ》であるから、たとひお絹《きぬ》が居《ゐ》ないでも僕《ぼく》に取《と》つて興味《きようみ》のない譯《わけ》はない、然《しか》し既《すで》にお絹《きぬ》を知《し》つた後《のち》の僕《ぼく》には、お絹《きぬ》の居《ゐ》ないことは寧《むし》ろ不愉快《ふゆくわい》の場所《ばしよ》となつてしまつたのである。不愉快《ふゆくわい》の人車《じんしや》に搖《ゆ》られて此《こ》の淋《さ》びしい溪間《たにま》に送《おく》り屆《とゞ》けられることは、頗《すこぶ》る苦痛《くつう》であつたが、今更《いまさら》引返《ひきか》へす事《こと》も出來《でき》ず、其日《そのひ》の午後《ごゝ》五|時頃《じごろ》、此宿《このやど》に着《つ》いた。突然《とつぜん》のことであるから宿《やど》の主人《あるじ》を驚《おどろ》かした。主人《あるじ》は忠實《ちゆうじつ》な人《ひと》であるから、非常《ひじやう》に歡迎《くわんげい》して呉《く》れた。湯《ゆ》に入《はひ》つて居《ゐ》ると女中《ぢよちゆう》の一人《ひとり》が來《き》て、
『小山《こやま》さんお氣《き》の毒《どく》ですね。』
『何故《なぜ》?』
『お絹《きぬ》さんは最早《もう》居《ゐ》ませんよ、』と言《い》ひ捨《す》てゝばた/\と逃《に》げて去《い》つた。哀《あは》れなる哉《かな》、これが僕《ぼく》の失戀《しつれん》の弔詞《てうじ》である! 失戀《しつれん》?、失戀《しつれん》が聞《き》いてあきれる。僕《ぼく》は戀《こひ》して居《ゐ》たのだらうけれども、夢《ゆめ》に、實《じつ》に夢《ゆめ》にもお絹《きぬ》をどうしやうといふ事《こと》はなかつた、お絹《きぬ》も亦《ま》た、僕《ぼく》を憎《に》くからず思《おも》つて居《ゐ》たらう、決《けつ
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