。忽《たちま》ちラツパを勇《いさ》ましく吹《ふ》き立《た》てゝ車《くるま》は傾斜《けいしや》を飛《と》ぶやうに滑《すべ》る。空《そら》は名殘《なごり》なく晴《は》れた。海風《かいふう》は横《よこ》さまに窓《まど》を吹《ふ》きつける。顧《かへり》みると町《まち》の旅館《りよかん》の旗《はた》が竿頭《かんとう》に白《しろ》く動《うご》いて居《を》る。
僕《ぼく》は頭《かしら》を轉《てん》じて行手《ゆくて》を見《み》た。すると軌道《レール》に沿《そ》ふて三|人《にん》、田舍者《ゐなかもの》が小田原《をだはら》の城下《じやうか》へ出《で》るといふ旅裝《いでたち》、赤《あか》く見《み》えるのは娘《むすめ》の、白《しろ》く見《み》えるのは老母《らうぼ》の、からげた腰《こし》も頑丈《ぐわんぢやう》らしいのは老父《おやぢ》さんで、人車《じんしや》の過《す》ぎゆくのを避《さ》ける積《つも》りで立《た》つて此方《こつち》を向《む》いて居《ゐ》る。『オヤお絹《きぬ》!』と思《おも》ふ間《ま》もなく車《くるま》は飛《と》ぶ、三|人《にん》は忽《たちま》ち窓《まど》の下《した》に來《き》た。
『お絹《きぬ》さん!』と僕《ぼく》は思《おも》はず手《て》を擧《あ》げた。お絹《きぬ》はにつこり笑《わら》つて、さつと顏《かほ》を赤《あか》めて、禮《れい》をした。人《ひと》と車《くるま》との間《あひだ》は見《み》る/\遠《とほ》ざかつた。
若《も》し同車《どうしや》の人《ひと》が無《な》かつたら僕《ぼく》は地段駄《ぢだんだ》を踏《ふ》んだらう、帽子《ばうし》を投《な》げつけたゞらう。僕《ぼく》と向《む》き合《あ》つて、眞面目《まじめ》な顏《かほ》して居《ゐ》る役人《やくにん》らしい先生《せんせい》が居《ゐ》るではないか、僕《ぼく》は唯《た》だがつかりして手《て》を拱《こま》ぬいてしまつた。
言《い》はでも知《し》るお絹《きぬ》は最早《もはや》中西屋《なかにしや》に居《ゐ》ないのである、父母《ふぼ》の家《いへ》に歸《かへ》り、嫁入《よめいり》の仕度《したく》に取《と》りかゝつたのである。昨年《さくねん》の夏《なつ》も他《た》の女中《ぢよちゆう》から小田原《をだはら》のお婿《むこ》さんなど嬲《なぶ》られて居《ゐ》たのを自分《じぶん》は知《し》つて居《ゐ》る、あゝ愈々《いよ/\》さうだ! と思《おも》
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