輕《かる》い、淡々《あは/\》しい雲《くも》が沖《おき》なる海《うみ》の上《うへ》を漂《たゞよ》ふて居《を》る、鴎《かもめ》が飛《と》ぶ、浪《なみ》が碎《くだ》ける、そら雲《くも》が日《ひ》を隱《か》くした! 薄《うす》い影《かげ》が野《の》の上《うへ》を、海《うみ》の上《うへ》を這《は》う、忽《たちま》ち又《また》明《あか》るくなる、此時《このとき》僕《ぼく》は決《けつ》して自分《じぶん》を不幸《ふしあはせ》な男《をとこ》とは思《おも》はなかつた。又《また》決《けつ》して厭世家《えんせいか》たるの權利《けんり》は無《な》かつた。
小田原《をだはら》へ着《つ》いて何時《いつ》も感《かん》ずるのは、自分《じぶん》もどうせ地上《ちじやう》に住《す》むならば此處《こゝ》に住《す》みたいといふことである。古《ふる》い城《しろ》、高《たか》い山《やま》、天《てん》に連《つ》らなる大洋《たいやう》、且《か》つ樹木《じゆもく》が繁《しげ》つて居《を》る。洋畫《やうぐわ》に依《よ》つて身《み》を立《た》てやうといふ僕《ぼく》の空想《くうさう》としては此處《こゝ》に永住《えいぢゆう》の家《いへ》を持《も》ちたいといふのも無理《むり》ではなからう。
小田原《をだはら》から先《さき》は例《れい》の人車鐵道《じんしやてつだう》。僕《ぼく》は一|時《とき》も早《はや》く湯原《ゆがはら》へ着《つ》きたいので好《す》きな小田原《をだはら》に半日《はんにち》を送《おく》るほどの樂《たのしみ》も捨《すて》て、電車《でんしや》から下《お》りて晝飯《ちうじき》を終《をは》るや直《す》ぐ人車《じんしや》に乘《の》つた。人車《じんしや》へ乘《の》ると最早《もはや》半分《はんぶん》湯《ゆ》ヶ|原《はら》に着《つ》いた氣《き》になつた。此《この》人車鐵道《じんしやてつだう》の目的《もくてき》が熱海《あたみ》、伊豆山《いづさん》、湯《ゆ》ヶ|原《はら》の如《ごと》き温泉地《をんせんち》にあるので、これに乘《の》れば最早《もはや》大丈夫《だいぢやうぶ》といふ氣《き》になるのは温泉行《をんせんゆき》の人々《ひと/″\》皆《み》な同感《どうかん》であらう。
人車《じんしや》は徐々《じよ/\》として小田原《をだはら》の町《まち》を離《はな》れた。僕《ぼく》は窓《まど》から首《くび》を出《だ》して見《み》て居《ゐ》る
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