わんう》は鈴木巡査《すゞきじゆんさ》といつて湯《ゆ》ヶ|原《はら》に勤務《きんむ》すること實《じつ》に九|年《ねん》以上《いじやう》であるといふことは、後《あと》で解《わか》つたのである。
 自分《じぶん》の注文通《ちゆうもんどほ》り、喇叭《らつぱ》の聲《こゑ》で人車《じんしや》は小田原《をだはら》を出發《たつ》た。

        七

 自分《じぶん》は如何《どう》いふものかガタ馬車《ばしや》の喇叭《らつぱ》が好《す》きだ。回想《くわいさう》も聯想《れんさう》も皆《み》な面白《おもしろ》い。春《はる》の野路《のぢ》をガタ馬車《ばしや》が走《はし》る、野《の》は菜《な》の花《はな》が咲《さ》き亂《みだ》れて居《ゐ》る、フワリ/\と生温《なまぬる》い風《かぜ》が吹《ふ》ゐて花《はな》の香《かほり》が狹《せま》い窓《まど》から人《ひと》の面《おもて》を掠《かす》める、此時《このとき》御者《ぎよしや》が陽氣《やうき》な調子《てうし》で喇叭《らつぱ》を吹《ふ》きたてる。如何《いく》ら嫁《よめ》いびり[#「いびり」に傍点]の胡麻白《ごましろ》婆《ばあ》さんでも此時《このとき》だけはのんびり[#「のんびり」に傍点]して幾干《いくら》か善心《ぜんしん》に立《た》ちかへるだらうと思《おも》はれる。夏《なつ》も可《よ》し、清明《せいめい》の季節《きせつ》に高地《テーブルランド》の旦道《たんだう》を走《はし》る時《とき》など更《さら》に可《よ》し。
 ところが小田原《をだはら》から熱海《あたみ》までの人車鐵道《じんしやてつだう》に此《この》喇叭がある。不愉快《ふゆくわい》千萬な此《この》交通機關《かうつうきくわん》に此《この》鳴物《なりもの》が附《つ》いてる丈《だ》けで如何《どう》か興《きよう》を助《たす》けて居《ゐ》るとは兼《かね》て自分《じぶん》の思《おも》つて居《ゐ》たところである。
 先《ま》づ二|臺《だい》の三|等車《とうしや》、次《つぎ》に二|等車《とうしや》が一|臺《だい》、此《この》三|臺《だい》が一|列《れつ》になつてゴロ/\と停車場《ていしやぢやう》を出《で》て、暫時《しばら》くは小田原《をだはら》の場末《ばすゑ》の家立《いへなみ》の間《あひだ》を上《のぼり》には人《ひと》が押《お》し下《くだり》には車《くるま》が走《はし》り、走《はし》る時《とき》は喇叭《らつぱ》を吹《ふ》いて進《すゝ》んだ。
 愈※[#二の字点、1−2−22]《いよ/\》平地《へいち》を離《はな》れて山路《やまぢ》にかゝると、これからが初《はじ》まりと言《い》つた調子《てうし》で張飛巡査《ちやうひじゆんさ》は何處《どこ》からか煙管《きせる》と煙草入《たばこいれ》を出《だ》したがマツチがない。關羽《くわんう》も持《もつ》て居《ゐ》ない。これを見《み》た義母《おつかさん》は徐《おもむろ》に袖《たもと》から取出《とりだ》して
『どうかお使《つか》ひ下《くだ》さいまし。』
と丁寧《ていねい》に言《い》つた。
『これは/\。如何《どう》もマツチを忘《わす》れたといふやつは始末《しまつ》にいかんもので。』
と巡査《じゆんさ》は一《いつ》ぷく點火《つけ》てマツチを義母《おつかさん》に返《かへ》すと義母《おつかさん》は生眞面目《きまじめ》な顏《かほ》をして、それを受《うけ》取つて自身《じしん》も煙草《たばこ》を喫《す》いはじめた。別《べつ》に海洋《かいやう》の絶景《ぜつけい》を眺《なが》めやうともせられない。
 どんより曇《くも》つて折《を》り/\小雨《こさめ》さへ降《ふ》る天氣《てんき》ではあるが、風《かぜ》が全《まつた》く無《な》いので、相摸灣《さがみわん》の波|靜《しづか》に太平洋《たいへいやう》の煙波《えんぱ》夢《ゆめ》のやうである。噴煙《ふんえん》こそ見《み》えないが大島《おほしま》の影《かげ》も朦朧《もうろう》と浮《う》かんで居《ゐ》る。
『義母《おつかさん》どうです、佳《い》い景色《けしき》ですね。』
『さうねえ。』
『向《むか》うに微《かすか》に見《み》えるのが大島《おほしま》ですよ。』
『さう?』
 此時《このとき》二人《ふたり》の巡査《じゆんさ》は新聞《しんぶん》を讀《よ》んで居《ゐ》た。關羽巡査《くわんうじゆんさ》は眼鏡《めがね》をかけて、人車《じんしや》は上《のぼり》だからゴロゴロと徐行《じよかう》して居《ゐ》た。

        八

 景色《けしき》は大《おほき》いが變化《へんくわ》に乏《とぼ》しいから初《はじ》めての人《ひと》なら兔《と》も角《かく》、自分《じぶん》は既《すで》に幾度《いくたび》か此海《このうみ》と此《この》棧道《さんだう》に慣《な》れて居《ゐ》るから強《しひ》て眺《なが》めたくもない。義母《おつかさん》が定《さだ》めし珍《めづら》しがるだらうと思《おも》つて居《ゐ》たのが、例《れい》の如《ごと》く簡單《かんたん》な御挨拶《ごあいさつ》だけだから張合《はりあひ》が拔《ぬ》けて了《しま》つた。新聞《しんぶん》は今朝《けさ》出《で》る前《まへ》に讀《よ》み盡《つく》して了《しま》つたし、本《ほん》を讀《よ》む元氣《げんき》もなし、眠《ねむ》くもなし、喋舌《しやべ》る對手《あひて》もなし、あくびも出《で》ないし、さて斯《か》うなると空々然《くう/\ぜん》、漠々然《ばく/\ぜん》何時《いつし》か義母《おつかさん》の氣《き》が自分《じぶん》に乘《の》り移《うつ》つて血《ち》の流動《ながれ》が次第々々《しだい/\》にのろく[#「のろく」に傍点]なつて行《ゆ》くやうな氣《き》がした。
 江《え》の浦《うら》へ一|時半《じはん》の間《あひだ》は上《のぼり》であるが多少《たせう》の高低《かうてい》はある。下《くだ》りもある。喇叭《らつぱ》も吹《ふ》く、斯《か》くて棧道《さんだう》にかゝつてから第《だい》一の停留所《ていりうじよ》に着《つ》いた所《ところ》の名《な》は忘《わす》れたが此處《こゝ》で熱海《あたみ》から來《く》る人車《じんしや》と入《い》りちがへるのである。
 巡査《じゆんさ》は此處《こゝ》で初《はじめ》て新聞《しんぶん》を手離《てばな》した。自分《じぶん》はホツと呼吸《いき》をして我《われ》に返《かへ》つた。義母《おつかさん》はウンともスンとも言《い》はれない。別《べつ》に我《われ》に返《かへ》る必要《ひつえう》もなく又《ま》た返《かへ》るべき我《われ》も持《もつ》て居《ゐ》られない
『此處《こゝ》で又《また》暫時《しばら》く待《ま》たされるのか。』
と眞鶴《まなづる》の巡査《じゆんさ》、則《すなは》ち張飛巡査《ちやうひじゆんさ》が言《い》つたので
『いつも此處《こゝ》で待《ま》たされるのですか。』
と自分《じぶん》は思《おも》はず問《と》ふた。
『さうとも限《かぎ》りませんが熱海《あたみ》が遲《おそ》くなると五|分《ふん》や十|分《ぷん》此處《こゝ》で待《ま》たされるのです。』
 壯丁《さうてい》は車《くるま》を離《はな》れて水《みづ》を呑《の》むもあり、皆《みな》掛茶屋《かけぢやゝ》の縁《えん》に集《あつま》つて休《やす》んで居《ゐ》た。此處《こゝ》は谷間《たにま》に據《よ》る一|小村《せうそん》で急斜面《きふしやめん》は茅屋《くさや》が段《だん》を作《つく》つて叢《むらが》つて居《ゐ》るらしい、車《くるま》を出《で》て見《み》ないから能《よ》くは解《わか》らないが漁村《ぎよそん》の小《せう》なる者《もの》、蜜柑《みかん》が山《やま》の産物《さんぶつ》らしい。人車《じんしや》の軌道《きだう》は村《むら》の上端《じやうたん》を横《よこぎ》つて居《ゐ》る。
 雨《あめ》がポツ/\降《ふ》つて居《ゐ》る。自分《じぶん》は山《やま》の手《て》の方《はう》をのみ見《み》て居《ゐ》た。初《はじ》めは何心《なにごころ》なく見《み》るともなしに見《み》て居《ゐ》る内《うち》に、次第《しだい》に今《いま》見《み》て居《ゐ》る前面《ぜんめん》の光景《くわうけい》は一|幅《ぷく》の俳畫《はいぐわ》となつて現《あら》はれて來《き》た。

        九

 軌道《レール》と直角《ちよくかく》に細長《ほそなが》い茅葺《くさぶき》の農家《のうか》が一|軒《けん》ある其《そ》の裏《うら》は直《す》ぐ山《やま》の畑《はたけ》に續《つゞ》いて居《ゐ》るらしい。家《いへ》の前《まへ》は廣庭《ひろには》で麥《むぎ》などを乾《ほ》す所《ところ》だらう、廣庭《ひろには》の突《つ》きあたりに物置《ものおき》らしい屋根《やね》の低《ひく》い茅屋《くさや》がある。母屋《おもや》の入口《いりくち》はレールに近《ちか》い方《はう》にあつて人車《じんしや》から見《み》ると土間《どま》が半分《はんぶん》ほどはすかひ[#「はすかひ」に傍点]に見《み》える。
 入口《いりくち》の外《そと》の軒下《のきした》に橢圓形《だゑんけい》の据風呂《すゑぶろ》があつて十二三の少年《せうねん》が入《はひつ》て居《ゐ》るのが最初《さいしよ》自分《じぶん》の注意《ちゆうい》を惹《ひ》いた。此《この》少年《せうねん》は其《そ》の日《ひ》に燒《や》けた脊中《せなか》ばかり此方《こちら》に向《む》けて居《ゐ》て決《けつ》して人車《じんしや》の方《はう》を見《み》ない。立《た》つたり、しやがん[#「しやがん」に傍点]だりして居《ゐ》るばかりで、手拭《てぬぐひ》も持《もつ》て居《ゐ》ないらし[#「い脱カ」の注記]、又《ま》た何時《いつ》出《で》る風《ふう》も見《み》えず、三|時間《じかん》でも五|時間《じかん》でも一日でも、あアやつて居《ゐ》るのだらうと自分《じぶん》には思《おも》はれた。廣庭《ひろには》に向《むい》た釜《かま》の口《くち》から青《あを》い煙《けむ》が細々《ほそ/″\》と立騰《たちのぼ》つて軒先《のきさき》を掠《かす》め、ボツ/\雨《あめ》が其中《そのなか》を透《すか》して落《お》ちて居《ゐ》る。半分《はんぶん》見《み》える土間《どま》では二十四五の女《をんな》が手拭《てぬぐひ》を姉樣《ねえさま》かぶりにして上《あが》りがまち[#「がまち」に傍点]に大盥《おほだらひ》程《ほど》の桶《をけ》を控《ひか》へ何物《なにもの》かを篩《ふるひ》にかけて專念《せんねん》一|意《い》の體《てい》、其桶《そのをけ》を前《まへ》に七ツ八ツの小女《こむすめ》が坐《すわ》りこんで見物《けんぶつ》して居《ゐ》るが、これは人形《にんぎやう》のやうに動《うご》かない、風呂《ふろ》の中《なか》の少年《せうねん》も同《おな》じくこれを見物《けんぶつ》して居《ゐ》るのだといふことが自分《じぶん》にやつと解《わか》つた。
 入口《いりくち》の彼方《あちら》は長《なが》い縁側《えんがは》で三|人《にん》も小女《こむすめ》が坐《すわ》つて居《ゐ》て其《その》一人《ひとり》は此方《こちら》を向《む》き今《いま》しも十七八の姉樣《ねえさん》に髮《かみ》を結《ゆ》つて貰《もら》ふ最中《さいちゆう》。前髮《まへがみ》を切《き》り下《さげ》て可愛《かはゆ》く之《これ》も人形《じんぎやう》のやうに順《おとな》しくして居《ゐ》る廣庭《ひろには》では六十|以上《いじやう》の而《しか》も何《いづ》れも達者《たつしや》らしい婆《ばあ》さんが三|人立《にんたつ》て居《ゐ》て其《その》一人《ひとり》の赤兒《あかんぼ》を脊負《おぶつ》て腰《こし》を曲《ま》げ居《を》るのが何事《なにごと》か婆《ばあ》さん聲《ごゑ》を張上《はりあ》げて喋白《しやべ》つて居《ゐ》ると、他《た》の二人《ふたり》の婆樣《ばあさん》は合槌《あひづち》を打《う》つて居《ゐ》る。けれども三|人《にん》とも手《て》も足《あし》も動《うご》かさない。そして五六|人《にん》の同《おな》じ年頃《としごろ》の小供《こども》がやはり身動《みうご》きもしないで婆《ばあ》さん達《たち》の周圍《まはり》を取《と》り卷《ま》いて居《ゐ》るのである。
 眞黒《まつくろ》な艷《つや》の佳《い
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