四

 大船《おほふな》に着《つ》くや老夫婦《としよりふうふ》が逸早《いちはや》く押《おし》ずしと辨當《べんたう》を買《か》ひこんだのを見《み》て自分《じぶん》も其《その》眞似《まね》をして同《おな》じものを求《もと》めた。頸筋《くびすぢ》は豚《ぶた》に似《に》て聲《こゑ》までが其《それ》らしい老人《らうじん》は辨當《べんたう》をむしやつき[#「むしやつき」に傍点]、少《すこ》し上方辯《かみがたべん》を混《ま》ぜた五十|幾歳位《いくさいぐらゐ》の老婦人《らうふじん》はすし[#「すし」に傍点]を頬張《ほゝば》りはじめた。
 自分《じぶん》は先《ま》づ押《おし》ずし[#「ずし」に傍点]なるものを一つ摘《つま》んで見《み》たが酢《す》が利《き》き過《す》ぎてとても喰《く》へぬのでお止《や》めにして更《さら》に辨當《べんたう》の一|隅《ぐう》に箸《はし》を着《つ》けて見《み》たがポロ/\飯《めし》で病人《びやうにん》に大毒《だいどく》と悟《さと》り、これも御免《ごめん》を被《かうむ》り、元來《ぐわんらい》小食《せうしよく》の自分《じぶん》、別《べつ》に苦《く》にもならず總《すべ》てを義母《おつかさん》にお任《まかせ》して茶《ちや》ばかり飮《の》んで内心《ないしん》一の悔《くい》を懷《いだ》きながら老人夫婦《としよりふうふ》をそれとなく觀察《くわんさつ》して居《ゐ》た。
『何故《なぜ》「ビールに正宗《まさむね》……」の其《その》何《いづ》れかを買《か》ひ入《い》れなかつたらう』といふが一《ひとつ》の悔《くい》である。大船《おほふな》を發《はつ》して了《しま》へば最早《もう》國府津《こふづ》へ着《つ》くのを待《ま》つ外《ほか》、途中《とちゆう》何《なに》も得《う》ることは出來《でき》ないと思《おも》ふと、淺間《あさま》しい事《こと》には猶《な》ほ殘念《ざんねん》で堪《たま》らない。
『酒《さけ》を買《か》へば可《よ》かつた。惜《を》しいことを爲《し》た』
『ほんとに、さうでしたねえ』と誰《だれ》か合槌《あひづち》を打《うつ》て呉《く》れた、と思《おも》ふと大違《おほちがひ》の眞中《まんなか》。義母《おつかさん》は今《いま》しも下《した》を向《むい》て蒲鉾《かまぼこ》を食《く》ひ欠《か》いで居《を》らるゝ所《ところ》であつた。
 大磯《おほいそ》近《ちか》くなつて漸《やつ》と諸君《しよくん》の晝飯《ちうはん》が了《をは》り、自分《じぶん》は二|個《こ》の空箱《あきばこ》の一《ひとつ》には笹葉《さゝつぱ》が殘《のこ》り一には煮肴《にざかな》の汁《しる》の痕《あと》だけが殘《のこ》つて居《ゐ》る奴《やつ》をかたづけて腰掛《こしかけ》の下《した》に押込《おしこ》み、老婦人《らうふじん》は三|個《こ》の空箱《あきばこ》を丁寧《ていねい》に重《かさ》ねて、傍《かたはら》の風呂敷包《ふろしきづつみ》を引寄《ひきよ》せ其《それ》に包《つゝ》んで了《しま》つた。最《もつと》も左樣《さう》する前《まへ》に老人《らうじん》と小聲《こゞゑ》で一寸《ちよつ》と相談《さうだん》があつたらしく、金貸《かねかし》らしい老人《らうじん》は『勿論《もちろん》のこと』と言《い》ひたげな樣子《やうす》を首《くび》の振《ふ》り方《かた》で見《み》せてたのであつた。
 此二《このふたつ》の悲劇《ひげき》が終《をわ》つて彼是《かれこれ》する中《うち》、大磯《おほいそ》へ着《つ》くと女中《ぢよちゆう》が三|人《にん》ばかり老人夫婦《としよりふうふ》を出迎《でむかへ》に出《で》て居《ゐ》て、其《その》一人《ひとり》が窓《まど》から渡《わた》した包《つゝみ》を大事《だいじ》さうに受取《うけと》つた。其中《そのなか》には空虚《からつぽ》の折箱《をり》も三ツ入《はひ》つて居《ゐ》るのである。
 汽車《きしや》が大磯《おほいそ》を出《で》ると直《す》ぐ(吾等《われら》二人《ふたり》ぎりになつたので)
『義母《おつかさん》今《いま》の連中《れんちゆふ》は何者《なにもの》でしよう。』
『今《いま》のツて何《な》に?』
『今《いま》大磯《おほいそ》へ下《お》りた二人《ふたり》です。』
『さうねえ』
『必定《きつと》金貸《かねかし》か何《なん》かですよ。』
『さうですかね』
『でなくても左樣《さう》見《み》えますね』
『婆樣《ばあさん》は上方者《かみがたもの》ですよ、ツルリン[#「ツルリン」に傍点]とした顏《かほ》の何處《どつか》に「間拔《まぬけ》の狡猾《かうくわつ》」とでも言《い》つたやうな所《ところ》があつて、ペチヤクリ/\老爺《ぢいさん》の氣嫌《きげん》を取《とつ》て居《ゐ》ましたね。』
『さうでしたか』
『妾《めかけ》の古手《ふるて》かも知《し》れない。』
『貴君《あなた》も隨分《ずゐぶん》口《くち》が惡《わる》いね』とか何《なん》とか義母《おつかさん》が言《い》つて呉《く》れると、益々《ます/\》惡口雜言《あくこうざふごん》の眞價《しんか》を發揮《はつき》するのだけれども、自分《じぶん》のは合憎《あいに》く甘《うま》い言《こと》をトン/\拍子《びやうし》で言《い》ひ合《あ》ふやうな對手《あひて》でないから、間《ま》の拔《ぬ》けるのも是非《ぜひ》がない。

        五

 箱根《はこね》、伊豆《いづ》の方面《はうめん》へ旅行《りよかう》する者《もの》は國府津《こふづ》まで來《く》ると最早《もはや》目的地《もくてきち》の傍《そば》まで着《つ》ゐた氣《き》がして心《こゝろ》も勇《いさ》むのが常《つね》であるが、自分等《じぶんら》二人《ふたり》は全然《まるで》そんな樣子《やうす》もなかつた。不好《いや》な處《ところ》へいや/\ながら出《で》かけて行《ゆ》くのかと怪《あやし》まるゝばかり不承無承《ふしようぶしよう》にプラツトホームを出《で》て、紅帽《あかばう》に案内《あんない》されて兔《と》も角《かく》も茶屋《ちやゝ》に入《はひ》つた。義母《おつかさん》は兔《うさぎ》につまゝら[#「ら」に「ママ」の注記]れたやうな顏《かほ》つきをして、自分《じぶん》は狼《おほかみ》につまゝら[#「ら」に「ママ」の注記]れたやうに[#「に」に「ママ」の注記]顏《かほ》をして(多分《たぶん》他《ほか》から見《み》ると其樣《そんな》顏《かほ》であつたらうと思《おも》ふ)『やれ/\』とも『先《ま》づ/\』とも何《なん》とも言《い》はず女中《ぢよちゆう》のすゝめる椅子《いす》に腰《こし》を下《おろ》した。
 自分《じぶん》は義母《おつかさん》に『これから何處《どこ》へ行《ゆ》くのです』と問《と》ひたい位《くらゐ》であつた。最早《もう》我慢《がまん》が仕《し》きれなくなつたので、義母《おつかさん》が一寸《ちよつ》と立《たつ》て用《よう》たし[#「たし」に傍点]に行《い》つた間《ま》に正宗《まさむね》を命《めい》じて、コツプであほつた。義母《おつかさん》の來《き》た時《とき》は最早《もう》コツプも空壜《あきびん》も無《な》い。
 思《おも》ひきや此《この》藝當《げいたう》を見《み》ながら
『ヤア、これは珍《めづ》らしい處《ところ》で』と景氣《けいき》よく聲《こゑ》をかけて入《はひつ》て來《き》た者《もの》がある。
 可愛《かはい》さうに景氣《けいき》のよい聲《こゑ》、肺臟《はいざう》から出《で》る聲《こゑ》を聞《き》いたのは十|年《ねん》ぶりのやうな氣《き》がして、自分《じぶん》は思《おも》はず立上《たちあが》つた。見《み》れば友人《いうじん》|M君《エムくん》である。
『何處《どこ》へ?』彼《かれ》は問《と》ふた。
『湯《ゆ》ヶ|原《はら》へ行《ゆ》く積《つも》りで出《で》て來《き》たのだ。』
『湯《ゆ》ヶ|原《はら》か。湯《ゆ》ヶ|原《はら》も可《い》いが此頃《このごろ》の天氣《てんき》じやアうんざり[#「うんざり」に傍点]するナア』
『君《きみ》は如何《どう》したのだ。』
『僕《ぼく》は四五日|前《まへ》から小田原《をだはら》の友人《いうじん》の宅《うち》へ遊《あそ》びに行《いつ》て居《ゐ》たのだが、雨《あめ》ばかりで閉口《へいかう》したから、これから歸京《かへら》うと思《おも》ふんだ。』
『湯《ゆ》ヶ|原《はら》へ行《ゆ》き玉《たま》へ。』
『御免《ごめん》、御免《ごめん》、最早《もう》飽《あ》き/\した。』
 平凡《へいぼん》な會話《くわいわ》じやアないか。平常《ふだん》なら當然《あたりまへ》の挨拶《あいさつ》だ。併《しか》し自分《じぶん》は友《とも》と別《わか》れて電車《でんしや》に乘《の》つた後《あと》でも氣持《きもち》がすが/\して清涼劑《せいりやうざい》を飮《の》んだやうな氣《き》がした。おまけに先刻《さつき》の手早《てばや》き藝當《げいたう》が其《その》效果《きゝめ》を現《あら》はして來《き》たので、自分《じぶん》は自分《じぶん》と腹《はら》が定《き》まり、車窓《しやさう》から雲霧《うんむ》に埋《うも》れた山々《やま/\》を眺《なが》め
『走《はし》れ走《はし》れ電車《でんしや》、』
 圓太郎馬車《ゑんたらうばしや》のやうに喇叭《らつぱ》を吹《ふ》いて呉《く》れると更《さら》に妙《めう》だと思《おも》つた。

        六

 小田原《をだはら》は街《まち》まで長《なが》い其《その》入口《いりぐち》まで來《く》ると細雨《こさめ》が降《ふ》りだしたが、それも降《ふ》りみ降《ふ》らずみたい[#「たい」に傍点]した事《こと》もなく人車鐵道《じんしやてつだう》の發車點《はつしやてん》へ着《つ》いたのが午後《ごゝ》の何時《なんじ》。半時間《はんじかん》以上《いじやう》待《ま》たねば人車《じんしや》が出《で》ないと聞《き》いて茶屋《ちやゝ》へ上《あが》り今度《こんど》は大《おほ》ぴらで一|本《ぽん》命《めい》じて空腹《くうふく》へ刺身《さしみ》を少《すこし》ばかり入《い》れて見《み》たが、惡酒《わるざけ》なるが故《ゆゑ》のみならず元來《ぐわんらい》八|度《ど》以上《いじやう》の熱《ねつ》ある病人《びやうにん》、甘味《うま》からう筈《はず》がない。悉《こと/″\》くやめてごろり轉《ころ》がるとがつかり[#「がつかり」に傍点]して身體《からだ》が解《と》けるやうな氣《き》がした。旅行《りよかう》して旅宿《やど》に着《つ》いて此《この》がつかり[#「がつかり」に傍点]する味《あぢ》は又《また》特別《とくべつ》なもので、「疲勞《ひらう》の美味《びみ》」とでも言《い》はうか、然《しか》し自分《じぶん》の場合《ばあひ》はそんなどころではなく病《やまひ》が手傳《てつだ》つて居《ゐ》るのだから鼻《はな》から出《で》る息《いき》の熱《ねつ》を今更《いまさら》の如《ごと》く感《かん》じ、最早《もは》や身動《みうご》きするのもいやになつた。
 しかし時間《じかん》が來《く》れば動《うご》かぬわけにいかない只《た》だ人車鐵道《じんしやてつだう》さへ終《をは》れば最早《もう》着《つ》ゐたも同樣《どうやう》と其《それ》を力《ちから》に箱《はこ》に入《はひ》ると中等《ちゆうとう》は我等《われら》二人《ふたり》ぎり廣《ひろ》いのは難有《ありがた》いが二|時間半《じかんはん》を無言《むごん》の行《ぎやう》は恐《おそ》れ入《い》ると思《おも》つて居《ゐ》ると、巡査《じゆんさ》が二人《ふたり》入《はひ》つて來《き》た。
 一人《ひとり》は張飛《ちやうひ》の痩《やせ》て弱《よわ》くなつたやうな中老《ちゆうらう》の人物《じんぶつ》。一人《ひとり》は關羽《くわんう》が鬚髯《ひげ》を剃《そ》り落《おと》して退隱《たいゝん》したやうな中老《ちゆうらう》以上《いじやう》の人物《じんぶつ》。
 ※[#「月+叟」、第4水準2−85−45]《や》せた張飛《ちやうひ》は眞鶴《まなづる》駐在所《ちゆうざいしよ》に勤務《きんむ》すること既《すで》に七八|年《ねん》、齋藤巡査《さいとうじゆんさ》と稱《しよう》し、退隱《たいゝん》の關羽《く
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