わんう》は鈴木巡査《すゞきじゆんさ》といつて湯《ゆ》ヶ|原《はら》に勤務《きんむ》すること實《じつ》に九|年《ねん》以上《いじやう》であるといふことは、後《あと》で解《わか》つたのである。
自分《じぶん》の注文通《ちゆうもんどほ》り、喇叭《らつぱ》の聲《こゑ》で人車《じんしや》は小田原《をだはら》を出發《たつ》た。
七
自分《じぶん》は如何《どう》いふものかガタ馬車《ばしや》の喇叭《らつぱ》が好《す》きだ。回想《くわいさう》も聯想《れんさう》も皆《み》な面白《おもしろ》い。春《はる》の野路《のぢ》をガタ馬車《ばしや》が走《はし》る、野《の》は菜《な》の花《はな》が咲《さ》き亂《みだ》れて居《ゐ》る、フワリ/\と生温《なまぬる》い風《かぜ》が吹《ふ》ゐて花《はな》の香《かほり》が狹《せま》い窓《まど》から人《ひと》の面《おもて》を掠《かす》める、此時《このとき》御者《ぎよしや》が陽氣《やうき》な調子《てうし》で喇叭《らつぱ》を吹《ふ》きたてる。如何《いく》ら嫁《よめ》いびり[#「いびり」に傍点]の胡麻白《ごましろ》婆《ばあ》さんでも此時《このとき》だけはのんびり[#「のんびり」に傍点]して幾干《いくら》か善心《ぜんしん》に立《た》ちかへるだらうと思《おも》はれる。夏《なつ》も可《よ》し、清明《せいめい》の季節《きせつ》に高地《テーブルランド》の旦道《たんだう》を走《はし》る時《とき》など更《さら》に可《よ》し。
ところが小田原《をだはら》から熱海《あたみ》までの人車鐵道《じんしやてつだう》に此《この》喇叭がある。不愉快《ふゆくわい》千萬な此《この》交通機關《かうつうきくわん》に此《この》鳴物《なりもの》が附《つ》いてる丈《だ》けで如何《どう》か興《きよう》を助《たす》けて居《ゐ》るとは兼《かね》て自分《じぶん》の思《おも》つて居《ゐ》たところである。
先《ま》づ二|臺《だい》の三|等車《とうしや》、次《つぎ》に二|等車《とうしや》が一|臺《だい》、此《この》三|臺《だい》が一|列《れつ》になつてゴロ/\と停車場《ていしやぢやう》を出《で》て、暫時《しばら》くは小田原《をだはら》の場末《ばすゑ》の家立《いへなみ》の間《あひだ》を上《のぼり》には人《ひと》が押《お》し下《くだり》には車《くるま》が走《はし》り、走《はし》る時《とき》は喇叭《らつ
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