ぱ》を吹《ふ》いて進《すゝ》んだ。
 愈※[#二の字点、1−2−22]《いよ/\》平地《へいち》を離《はな》れて山路《やまぢ》にかゝると、これからが初《はじ》まりと言《い》つた調子《てうし》で張飛巡査《ちやうひじゆんさ》は何處《どこ》からか煙管《きせる》と煙草入《たばこいれ》を出《だ》したがマツチがない。關羽《くわんう》も持《もつ》て居《ゐ》ない。これを見《み》た義母《おつかさん》は徐《おもむろ》に袖《たもと》から取出《とりだ》して
『どうかお使《つか》ひ下《くだ》さいまし。』
と丁寧《ていねい》に言《い》つた。
『これは/\。如何《どう》もマツチを忘《わす》れたといふやつは始末《しまつ》にいかんもので。』
と巡査《じゆんさ》は一《いつ》ぷく點火《つけ》てマツチを義母《おつかさん》に返《かへ》すと義母《おつかさん》は生眞面目《きまじめ》な顏《かほ》をして、それを受《うけ》取つて自身《じしん》も煙草《たばこ》を喫《す》いはじめた。別《べつ》に海洋《かいやう》の絶景《ぜつけい》を眺《なが》めやうともせられない。
 どんより曇《くも》つて折《を》り/\小雨《こさめ》さへ降《ふ》る天氣《てんき》ではあるが、風《かぜ》が全《まつた》く無《な》いので、相摸灣《さがみわん》の波|靜《しづか》に太平洋《たいへいやう》の煙波《えんぱ》夢《ゆめ》のやうである。噴煙《ふんえん》こそ見《み》えないが大島《おほしま》の影《かげ》も朦朧《もうろう》と浮《う》かんで居《ゐ》る。
『義母《おつかさん》どうです、佳《い》い景色《けしき》ですね。』
『さうねえ。』
『向《むか》うに微《かすか》に見《み》えるのが大島《おほしま》ですよ。』
『さう?』
 此時《このとき》二人《ふたり》の巡査《じゆんさ》は新聞《しんぶん》を讀《よ》んで居《ゐ》た。關羽巡査《くわんうじゆんさ》は眼鏡《めがね》をかけて、人車《じんしや》は上《のぼり》だからゴロゴロと徐行《じよかう》して居《ゐ》た。

        八

 景色《けしき》は大《おほき》いが變化《へんくわ》に乏《とぼ》しいから初《はじ》めての人《ひと》なら兔《と》も角《かく》、自分《じぶん》は既《すで》に幾度《いくたび》か此海《このうみ》と此《この》棧道《さんだう》に慣《な》れて居《ゐ》るから強《しひ》て眺《なが》めたくもない。義母《おつかさん》が定《さだ》めし
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