て来た。「もしか知れたらどうする」。「知れるものかあの旦那は性質《ひと》が良いもの」。「性質《ひと》の良いは当にならない」。「性質《ひと》の善良《いい》のは魯鈍《のろま》だ」。と促急込《せきこ》んで独《ひとり》問答をしていたが
「魯鈍《のろま》だ、魯鈍だ、大魯鈍だ」と思わず又叫んで「フン何が知れるもんか」と添足《つけた》した。そして布団から首を出して見ると日が暮れて入口の障子戸に月が射している。けれども起きて洋燈《ランプ》を点《つ》けようとも仕ないで、直ぐ首を引込《ひっこめ》て又た丸くなって了った。そこへ磯吉が帰って来た。
頭が割れるように痛むので寝たのだと聞いて磯は別に怒りもせず驚きもせず自分で燈《ひ》を点《つ》け、薬罐《やかん》が微温湯《ぬるまゆ》だから火鉢に炭を足し、水も汲みに行った。湯の沸騰《たぎ》るを待つ間は煙草をパクパク吹《ふか》していたが
「どう痛むんだ」
返事がないので、磯は丸く凸起《もちあが》った布団を少時《しばら》く熟《じっ》と視《み》ていたが
「オイどう痛むんだイ」
相変らず返事がないので磯は黙って了った。その中《うち》湯が沸騰《わい》て来たから例の通り氷のように冷《ひえ》た飯へ白湯《さゆ》を注《か》けて沢庵《たくあん》をバリバリ、待ち兼た風に食い初めた。
布団の中でお源が啜泣《すすりなき》する声が聞えたが磯には香物《こうのもの》を噛《か》む音と飯を流し込む音と、美味《うま》いので夢中になっているのとで聞えなかった、そして飯を食い終ったころには啜泣の声も止《や》んだのである。
磯が火鉢の縁《ふち》を忽々《こつこつ》叩《たた》き初めるや布団がむくむく動いていたが、やがてお源が半分布団に巻纏《くるま》って其処へ坐った。前が開《あい》て膝頭《ひざがしら》が少し出ていても合そうとも仕ない、見ると逆上《のぼ》せて顔を赤くして眼は涙に潤み、頻《しき》りに啜泣を為《し》ている。
「どうしたと云うのだ、え?」と磯は問うたが、この男の持前として驚いて狼狽《うろた》えた様子は少しも見えない。
「磯さん私は最早《もう》つくづく厭《いや》になった」と言い出してお源は涙声になり
「お前さんと同棲《いっしょ》になってから三年になるが、その間|真実《ほんとう》に食うや食わずで今日はと思った日は一日だって有りやしないよ。私だって何も楽を仕様《しよう》とは思わんけれど
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