はせる。』
 銀之助の不平は最早《もう》二月《ふたつき》前からのことである。そして平時《いつ》も此《この》不平を明白《あからさま》に口へ出して言ふ時は『下宿屋だつて』を持出《もちだ》す。決して腹の底の或物《あるもの》は出さない。
 房《ふさ》は『下宿屋』が出たので沈黙《だまつ》て了《しま》つた。銀之助は急に起立《たちあ》がつて。
『出て来る。』
『最早《もう》直《ぢ》き奥様《おくさん》がお帰宅《かへ》りになりませう。』と房《ふさ》は驚いて止《と》めるやうに言つた。
『奥様《おくさん》の帰宅《かへる》のを待たないでも可《い》いじやアないか。』
 銀之助はむちやくちや腹《ばら》で酒ばかし呑《の》んで斯《か》うやつて居るのが、女房の帰《か》へるのを待つて居るやうな気がしたので急に外に飛び出したくなつたのである。
『外で何を勝手な真似《まね》をして居るか解《わか》りもしない女房のお帰宅《かへり》を謹《つゝし》んでお待申《まちまう》す亭主じやアないぞ』といふのが銀之助の腹である。
『それはさうで御座《ござ》いますが、最早《もう》直《ぢ》きお帰りになりませうから。』と房《ふさ》は飽《あ》くまで止め
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