今一ツ六蔵の妙な癖を言いますと、この子供は鳥が好きで、鳥さえ見れば目の色をかえて騒ぐことです。けれども何を見ても「からす」と言い、いくら名を教えても覚えません。「もず」を見ても「ひよどり」を見ても「からす」と言います。おかしいのは、ある時白さぎを見て「からす」と言ッたことで、「さぎ」を「からす」に言い黒めるという俗諺《ぞくげん》が、この子だけにはあたりまえなのです。
 高い木のてっぺんで百舌鳥《もず》が鳴いているのを見ると、六蔵は口をあんぐりあけて、じっとながめています。そして百舌鳥《もず》の飛び立ってゆくあとを茫然《ぼうぜん》と見送るさまは、すこぶる妙で、この子供には空を自由に飛ぶ鳥がよほど不思議らしく思われました。

       四

 さて私もこの哀れな子のためにはずいぶん骨を折ってみましたが、目に見えるほどの効能は少しもありませんでした。
 かれこれするうちに翌年の春になり、六蔵の身の上に不慮の災難が起こりました。三月の末でございました、ある日朝から六蔵の姿が見えません、昼過ぎになっても帰りません、ついに日暮れになっても帰って来ませんから田口の家では非常に心配し、ことに母親は居ても立ってもいられん様子です。
 そこで私はまず城山を捜すがよかろうと、田口の僕《ぼく》を一人連れて、ちょうちんの用意をして、心に怪しい痛ましいおもいをいだきながら、いつもの慣れた小道を登って城あとに達しました。
 俗に虫が知らすというような心持ちで天主台の下に来て、
「六さん! 六さん!」と呼びました。そして私と僕と、申し合わしたように耳をそばだてました。場所が城あとであるだけ、また捜す人が並みの子供でないだけ、なんとも知れない物すごさを感じました。
 天主台の上に出て、石垣《いしがき》の端から下をのぞいて行くうちに、北の最も高い角《かど》の真下に六蔵の死骸《しがい》が落ちているのを発見しました。
 怪談でも話すようですが、実際私は六蔵の帰りのあまりおそいと知ってからは、どうもこの高い石垣の上から六蔵の墜落して死んだように感じたのであります。
 あまり空想だと笑われるかも知れませんが、白状しますと、六蔵は鳥のように空をかけ回るつもりで石垣の角《かど》から身をおどらしたものと、私には思われるのです。木の枝に来て、六蔵の目の前まで枝から枝へと自在に飛んで見せたら、六蔵はきっと、自分も
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