は自分と異《ちが》ってすらり[#「すらり」に傍点]と高い方。言葉に力がある。
 この母の前へ出ると自分の妻《さい》などはみじめ[#「みじめ」に傍点]な者。妻の一|言《こと》いう中《うち》に母は三言五言《みこといつこと》いう。妻はもじもじ[#「もじもじ」に傍点]しながらいう。母は号令でもするように言う。母は三言目には喧嘩腰《けんかごし》、妻は罵倒《ばとう》されて蒼《あお》くなって小さくなる。女でもこれほど異《ちが》うものかと怪しまれる位。
 母者《ははじゃ》ひとの御入来。
 其処《そこ》は端近《はしぢか》先《ま》ず先ずこれへとも何とも言わぬ中に母はつかつかと上って長火鉢の向《むこう》へむず[#「むず」に傍点]とばかり、
「手紙は届いたかね」との一|言《ごん》で先ず我々の荒肝《あらぎも》をひしがれた。
「届きました」と自分が答えた。
「言って来たことは都合がつくかね?」
「用意して置きました」とお政は小さい声。母はそろそろ気嫌《きげん》を改ためて、
「ああそれは難有《ありがと》う。毎度お気の毒だと思うんだけれど、ツイね私の方も請取《うけと》る金が都合よく請取れなかったりするものだから、此方《こっち》も困るだろうとは知りつつ、何処《どっこ》へも言って行く処がないし、ツイね」と言って莞爾《にっこり》。
 能《よ》く見ると母の顔は決して下品な出来ではない。柔和に構えて、チンとすましていられると、その剣のある眼つきが却《かえ》って威を示し、何処《どこ》の高貴のお部屋様かと受取られるところもある。
「イイえどう致しまして」とお政は言ったぎり、伏目《ふしめ》になって助《たすく》の頭を撫《な》でている。母はちょっと助を見たが、お世辞にも孫の気嫌を取ってみる母では無さそうで、実はそうで無い。時と場合でそんなことはどうにでも。
「助の顔色がどうも可くないね。いったい病身な児だから余程《よっぽど》気をつけないと不可《いけ》ませんよ」と云いつつ今度は自分の方を向いて、
「学校の方はどうだね」
「どうも多忙《いそが》しくって困ります。今日もこれから寄附金のことで出掛けるところでした」
「そうかね、私にかまわないでお出かけよ、私も今日は日曜だから悠然《ゆっくり》していられない」
「そうでしたね、日曜は兵隊が沢山来る日でしたね」と自分は何心なく言った。すると母、やはり気がとがめるかして、少し気色《けしき》を更え、音《おん》がカンを帯びて、
「なに私どもの処に下宿している方は曹長様《そうちょうさん》ばかりだから、日曜だって平常《ふだん》だってそんなに変らないよ。でもね、日曜は兵が遊びに来るし、それに矢張《やはり》上に立てば酒位飲まして返すからね自然と私共も忙がしくなる勘定サ。軍人はどうしても景気が可いね」
「そうですかね」と自分は気の無い挨拶《あいさつ》をしたので、母は愈々《いよいよ》気色ばみ。
「だってそうじゃないかお前、今度の戦争《いくさ》だって日本の軍人が豪《えら》いから何時《いつで》も勝つのじゃないか。軍人あっての日本だアね、私共は軍人が一番すきサ」
 この調子だから自分は遂に同居説を持だすことが出来ない。まして品行《みもち》の噂でも為て、忠告がましいことでも言おうものなら、母は何と言って怒鳴るかも知れない。妻《さい》が自分を止めたも無理でない。
「学校の先生なんテ、私は大嫌《だいきら》いサ、ぐずぐずして眼ばかりパチつかしているところは蚊を捕《つかま》え損《そこ》なった疣蛙《えぼがえる》みたようだ」とは曾《かつ》て自分を罵《のの》しった言葉。
 疣蛙が出ない中にと、自分は、
「ちょっと出て来ます、御悠寛《ごゆっくり》」とこそこそ出てしまった。何と意気地なき男よ!
 思えば母が大意張《おおいばり》で自分の金を奪い、遂に自分を不幸のドン底まで落したのも無理はない。自分達夫婦は最初から母に呑《のま》れていたので、母の為ることを怒《いか》り、恨み、罵ってはみる者の、自分達の力では母をどうすることも出来ないのであった。
 酒を飲まない奴《やつ》は飲む者に凹《へこ》まされると決定《きま》っているらしい。今の自分であってみろ! 文句がある。
「母上《おっか》さん、そりゃア貴女《あなた》軍人が一番お好きでしょうよ」とじろり[#「じろり」に傍点]その横顔を見てやる。母のことだから、
「オヤ異《おつ》なことを言うね、も一度言って御覧」と眼を釣上げて詰寄るだろう。
「御気《ごき》に触《さ》わったら御勘弁。一ツ差上げましょう」と杯《さかずき》を奉まつる。「草葉の蔭で父上が……」とそれからさわり[#「さわり」に傍点]で行くところだが、あの時はどうしてあの時分はあんなに野暮天《やぼてん》だったろう。
 浜を誰か唸《うな》って通る。あの節廻《ふしまわ》しは吉次《きちじ》だ。彼奴《き
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