座敷を取り片|付《づ》けるので母屋《おもや》の方は騒いでいたが、それが済むと長屋の者や近所の者がそろそろ集まって来て、がやがやしゃべるのが聞こえる。日はとっぷり暮れたが月はまだ登らない、時田は燈火《ひ》も点《つ》けないで片足を敷居の上に延ばし、柱に倚《よ》りかかりながら、茫然《ぼんやり》外面《そと》をながめている。
『先生!』梅ちゃんの声らしい、時田は黙って返事をしない。『オヤいないのだよ』と去《い》ってしまった、それから五分も経《た》ったか、その間身動きもしないで東の森をながめていたが、月の光がちらちらともれて来たのを見て、彼は悠然《やおら》立って着衣《きもの》の前を丁寧に合わして、床《とこ》に放棄《ほう》ってあった鳥打ち帽を取るや、すたこらと梯子段《はしごだん》を下《お》りた。
 生垣《いけがき》を回ると突然《だしぬけ》に出っくわしたのがお梅である。お梅はきゃんな声で
『知らないよ。いいジャアないかあたしがだれのうわさをしようがお前さんの関《かま》った事ジャアないよ、ねエ先生!』
 時田は驚いて木《こ》の下闇《したやみ》を見ると、一人の男が立っていたが、ツイと長屋の裏の方へ消えてし
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