ないか、こういうんだ、今度|代々木《よよぎ》の八幡宮《はちまんぐう》が改築になったからそれへ奉納したいというんだ。それから老爺《おやじ》しきりと八幡の新築の立派なことなんかしゃべっているから、僕は聴《き》きながら考えた、この画はともかくもわがためには紀念すべきものである、そして、この老爺《おやじ》もわがためには紀念すべき人である、だからこの画をこの老爺《おやじ》にくれてやって八幡に奉納さすれば、われにもしこの後また退転の念が生じたとき、その八幡に行ってこの画を見て今日のことを思い出せば、なるほどそうだとまた猛進の精神を喚起さすだろう。そうだとこう考えて老爺《おやじ》にくれてやることにした。老爺大変よろこんですぐ持って帰るというから、それは困る明日《あす》まで待ってくれろ今日は自宅《うち》へ持って帰って少しは手を入れたいからと言うと、そんならちょっとわしが宅《うち》へ寄ってくれろじきそこだからッて、僕が行くとも言わないに先に立ってずんずんゆくから、僕もおもしろ半分についていったサ。思ったより大きな家《うち》で庭に麦が積んであって、婆《ばあ》さんと若夫婦らしいのとがしきりに抜《こ》いでいたが、それからみんな集まって絵を見るやら茶を出すやら大騒ぎを初めた。それで僕は明日《あす》自分で持って来てやると約束して来たんだ。今日は降るから閉口したが待っていると気の毒だから、これから行って来ようと思う。』
時田はほとんど一口も入れないで黙って聴いていたが、江藤がやっとやめたので、
『その百姓家に娘はいなかったか、』と真顔で問うた。
『アアいたいた八歳《やつ》ばかしの。』何心なく江藤は答える。
『そいつは惜しかった十六、七で別品《べっぴん》でモデルになりそうだと来ると小説だッたッけ、』と言って『ウフフフ』と笑った。この先生に不似合いなことを時々言ってそうして自分でこんなふうな笑いかたをするのがこの人の癖の一つである。
『そううまくは行《ゆ》かないサ、ハハハハ、イヤそんなら行って来ようか、ご苦労な話だ、』と江藤が立ち上がろうとする時、生垣《いけがき》の外で、
『昨夜《ゆうべ》またやったよ、聞いたかねもう。今度は三十ばかしの野郎よ、野郎じゃアねッからお話になんねエ、十七、八の新造《しんぞ》と来《き》なきゃア、そうよそろそろ暑くなるから逆上《のぼ》せるかもしんねエ。』と大きな声で言うのは
前へ
次へ
全14ページ中10ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
国木田 独歩 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング