というまずサだろう、これが画といわりょうかおれはとてもだめなのかしらん、と思うと画くのがいやになってもうよそうかもうよそうかと思いながらやっていた。すると後ろの森の方でガサゴソと妙な音がした。この時サ、僕は振り向いて見ようとしたが、待て! こんな事では到底だめだ、たといまずかろうがまずいからこそ勉強して画《か》くのだ、奉納絵を画いてもいいという決心はどうした、一心不乱とはここの事だ、たとい耳のそばで狼《おおかみ》がほえようが心を取り乱し気を散じないくらいでなければならないのが、森の奥でちょっと音がしたって、すぐそれに気を取られるようでどうするかと、今度はまずくても何でもずんずん画いていると、ゴソッ、ガサッという音がだんだん近づいて来るようで気になってならない、その音がまたすこぶる妙なので、ちょうど僕が一心に画《か》いているのをつけこんで後ろから何者か、忍び足に僕をねらうように思われる。さアそう思うと振り向いて見たくッてたまらない。しかし一たん見まいと決心したからには意地《いじ》が出て振り向くのが愧《はず》かしく、また振り向くと向かないのとで僕の美術家たり得《う》るや否《いな》やの分かれ目のような気がして来た。
またこうも思った、見る見ないは別問題だ、てんであんな音が耳に入《はい》るようでそれが気になるようでそのために気をもむようではだめなんだ。もし真にわが一心をこの画幅とこの自然とに打ち込むなら大砲の音だって聞こえないだろうと。そこで画板にかじりつくようにして画《か》きはじめた。しかし何の益《やく》にも立たない、僕の心は七|分《ぶ》がた後ろの音に奪われているのだから。
そこでまたこうも思った、何もそう固まるには及ばない、気になるならなるで、ちょっと見て烏《からす》か狐《きつね》か盗賊か鬼か蛇《じゃ》かもしくは一つ目小僧か大入道《おおにゅうどう》かそれを確かめて、安心して画いたがよサそうなものだ、よろしいそうだと振り向こうとしたが、残念でたまらない、もしここでおれが後ろへ振り向くならもう今日《きょう》かぎり画家はやめるのだゾ、よしか、それでよければ向け、もしこの森にいるとかうわさのある狂犬であっておれの後ろからいきなり頸筋《くびすじ》へ食らいつくなら着いてもいいではないか。それで死んでもかまわない、こうなればもう意地だ! この意地が通されないくらいなら美術家たるは
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