んじゃく》である。机の前に端座して生徒の清書を点検したり、作文を観《み》たり、出席簿を調べたり、倦《くた》ぶれた時はごろりとそこに寝ころんで天井をながめたりしている。
 午後二時、この降るのに訪《たず》ねて来て、中二階の三段目から『時田!』と首を出したのは江藤《えとう》という画家《えかき》である、時田よりは四つ五つ年下の、これもどこか変物《へんぶつ》らしい顔つき、語調《ものいい》と体度《みのこなし》とが時田よりも快活らしいばかり、共に青山御家人《あおやまごけにん》の息子《むすこ》で小供の時から親の代からの朋輩《ほうばい》同士である。
 時田は朱筆《しゅふで》を投げやって仰向けになりながら、
『君|先《せん》だって頼んで置いたのはできたかね。』
 江藤は火鉢《ひばち》のそばに座《すわ》って勝手に茶を飲み、とぼけた顔をして、
『なんだッたかしら。』
『そら手本サ。』
『すっかり忘れていた、失敬失敬、それよりか君に見せたい物があるのだ、』と風呂敷《ふろしき》に包んでその下をまた新聞紙で包んである、画板《がはん》を取り出して、時田に渡した。時田は黙って見ていたが、
『どこか見たような所だね、うまくできている。』
『そら、あの森のところサ御料地の、あそこから向こうの畑と林とを見たところサ。』
『なるほどそうだ、』といいながら時田は壁に下げてある小さな水彩画と見比べている。
『無論この方がまずいサ。ところがこの絵にはおもしろい話があるからそれで持って来たがこれからまたこれを持って行くところがあるのだ。』
 時田は起ち上がって火鉢のそばへ来て、『ふうン』とはなはだ気のない返事をして聞いている、これはこの人の癖だから対手《あいて》はなんとも感じない。
『昨日《きのう》はあのいい天気だからいつものように出かけて例の森、僕はまだあそこは画《か》いたことがないからどうせろくなものはできまいが、一ツ試みて見ようと、いつもの細い径《みち》を例のごとく空想にふけりながら歩いた。実は――もう白状してもいいから言うが――実は僕近ごろ自分で自分を疑い初めて、果たしておれに美術家たるの天才があるのだろうか、果たしておれは一個の画家として成功するだろうかなんてしきりと自脈を取っていたのサ。断然この希望をなげうってしまうかとも思ったがその時思い当たッたのは君の事だ。君がこうやッて村立尋常小学校の校長それも
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