び、誤りて溺《おぼ》れしを、見てありし子供ら、畏《おそ》れ逃げてこの事を人に告げざりき。夕暮になりて幸助の帰りこぬに心づき、驚きて吾らもともに捜せし時はいうまでもなく事遅れて、哀れの骸《かばね》は不思議にも源叔父が舟底に沈みいたり。
「彼はもはやけっしてうたわざりき、親しき人々にすら言葉かわすことを避くるようになりぬ。ものいわず、歌わず、笑わずして年月を送るうちにはいかなる人も世より忘れらるるものとみえたり。源叔父の舟こぐことは昔に変わらねど、浦人らは源叔父の舟に乗りながら源叔父の世にあることを忘れしようになりぬ。かく語る我身すらおりおり源叔父がかの丸き眼をなかば閉じ櫓《ろ》担《にな》いて帰りくるを見る時、源叔父はまだ生きてあるよなど思うことあり。彼はいかなる人ぞと問いたまいしは君が初めなり。
「さなり、呼びて酒|呑《の》ませなばついには歌いもすべし。されどその歌の意|解《げ》しがたし。否《いな》、彼はつぶやかず、繰言《くりごと》ならべず、ただおりおり太き嘆息《ためいき》するのみ。あわれとおぼさずや――」
 宿の主人《あるじ》が教師に語りしはこれに過ぎざりし。教師は都に帰りて後も源叔父
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