らず起こらん、そのときわれを父と思え、そなたの父はわれなり」
 かくて源叔父は昔見し芝居の筋を語りいで、巡礼謡《じゅんれいうた》をかすかなる声にてうたい聞かせつ、あわれと思わずやといいてみずから泣きぬ。紀州には何事も解しかぬ様《さま》なり。
「よしよし、話のみにては解しがたし、目に見なばそなたもかならず泣かん」いいおわりて苦しげなる息、ほと吐《つ》きたり。語り疲れてしばしまどろみぬ。目さめて枕辺を見しに紀州あらざりき。紀州よ我子よと呼びつつ走りゆくほどに顔のなかばを朱に染めし女|乞食《こじき》いずこよりか現われて紀州は我子なりといいしが見るうちに年若き眼に変わりぬ。ゆり[#「ゆり」に傍点]ならずや幸助をいかにせしぞ、わが眠りし間に幸助いずれにか逃げ亡《う》せたり、来たれ来たれ来たれともに捜せよ、見よ幸助は芥溜《ごみため》のなかより大根の切片《きれ》掘りだすぞと大声あげて泣けば、後《うし》ろより我子よというは母なり。母は舞台見ずやと指《ゆび》さしたまう。舞台には蝋燭《ろうそく》の光|眼《まなこ》を射るばかり輝きたり。母が眼のふち赤らめて泣きたまうを訝《いぶか》しく思いつ、自分《おのれ》は
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