も。屋根を渡る風の音す、門《かど》に立てる松の梢《こずえ》を嘯《うそぶ》きて過ぎぬ。
翌朝《つぎのあさ》早く起きいでて源叔父は紀州に朝飯たべさせ自分《おのれ》は頭重く口|渇《かわ》きて堪えがたしと水のみ飲みて何も食わざりき。しばししてこの熱を見よと紀州の手取りて我|額《ひたい》に触れしめ、すこし風邪《かぜ》ひきしようなりと、ついに床のべてうち臥《ふ》しぬ。源叔父の疾《や》みて臥《ふ》するは稀なることなり。
「明日《あす》は癒《い》えん、ここに来たれ、物語して聞かすべし」しいてうちえみ、紀州を枕辺《まくらべ》に坐らせて、といきつくづくいろいろの物語して聞かしぬ。そなたは鱶《ふか》ちょう恐ろしき魚見しことなからんなど七ツ八ツの児に語るがごとし。ややありて。
「母親恋しくは思わずや」紀州の顔見つつ問いぬ。この問を紀州の解《げ》しかねしようなれば。
「永く我家にいよ、我をそなたの父と思え、――」
なおいい続《つ》がんとして苦しげに息す。
「明後日《あさって》の夜は芝居見に連れゆくべし。外題《げだい》は阿波十郎兵衛《あわのじゅうろべえ》なる由《よし》ききぬ。そなたに見せなば親恋しと思う心かな
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