引取りて末永く育てんというものなく、時には庭先の掃除など命じ人らしく扱うものありしかど、永くは続かず。初めは童《わらべ》母を慕いて泣きぬ、人人物与えて慰めたり。童は母を思わずなりぬ、人人の慈悲《じひ》は童をして母を忘れしめたるのみ。物忘れする子なりともいい、白痴なりともいい、不潔なりともいい、盗《ぬすみ》すともいう、口実はさまざまなれどこの童を乞食の境《さかい》に落としつくし人情の世界のそとに葬りし結果はひとつなりき。
 戯《たわむ》れにいろは教うればいろはを覚え、戯れに読本《とくほん》教うればその一節二節を暗誦し、小供らの歌聞きてまた歌い、笑い語り戯れて、世の常の子と変わらざりき。げに変わらずみえたり。生国を紀州《きしゅう》なりと童のいうがままに「紀州」と呼びなされて、はては佐伯町附属の品物のように取扱われつ、街《まち》に遊ぶ子はこの童とともに育ちぬ。かくて彼が心は人々の知らぬ間に亡び、人々は彼と朝日照り炊煙《すいえん》棚引《たなび》き親子あり夫婦あり兄弟《きょうだい》あり朋友《ほうゆう》あり涙ある世界に同居せりと思える間《ま》、彼はいつしか無人《むにん》の島にその淋しき巣を移しここ
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