の若者である。きよろ/\四辺《あたり》を見廻して居たが吻《ほつ》と酒気《しゆき》を吐き、舌打して再び内によろめき込んだ。

       三

 宿の子のまめ/\しきが先に立ちて、明くれば九月二十六日朝の九時、愈々《いよ/\》空知川の岸へと出発した。
 陰晴|定《さだ》めなき天気、薄き日影洩るゝかと思へば忽ち峰より林より霧起りて峰をも林をも路をも包んでしまう。山路は思ひしより楽にて、余は宿の子と様々の物語しつゝ身も心も軽く歩《あ》ゆんだ。
 林は全く黄葉《きば》み、蔦紅葉《つたもみぢ》は、真紅《しんく》に染り、霧起る時は霞《かすみ》を隔《へだて》て花を見るが如く、日光直射する時は露を帯びたる葉毎に幾千万の真珠碧玉を連らねて全山|燃《もゆ》るかと思はれた。宿の子は空知川沿岸に於ける熊の話を為《な》し、続いて彼が子供心に聞き集めたる熊物語の幾種かを熱心に語つた。坂を下りて熊笹の繁《しげれ》る所に来ると彼は一寸立どまり
「聞えるだらう、川の音が」と耳を傾けた、「ソラ……聞えるだらう、あれが空知川、もう直ぐ其処だ。」
「見えさうなものだな。」
「如何して見えるものか、森の中に流れて居るのだ。」
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