《そまやま》の上に月現はれ、山を掠《かす》めて飛ぶ浮雲は折り/\其前面を拭ふて居る。空気は重く湿めり、空には風あれども地は粛然として声なく、たゞ渓流の音のかすかに聞ゆるばかり。余は一方は山、一方は崖の爪先上りの道を進みて小高き広場に出たかと思ふと、突然耳に入つたものは絃歌の騒《さわぎ》である。
見れば山に沿ふて長屋建《ながやだち》の一棟あり、これに対して又一棟あり。絃歌は此長屋より起るのであつた。一棟は幾戸かに分れ、戸々皆な障子をとざし、其障子には火影|花《はなや》かに映り、三絃の乱れて狂ふ調子放歌の激して叫ぶ声、笑ふ声は雑然として起つて居るのである、牛部屋に等しき此長屋は何ぞ知らん鉱夫どもが深山幽谷の一隅に求め得し歓楽境ならんとは。
流れて遊女となり、流れて鉱夫となり、買ふものも売るものも、我世夢ぞと狂歌乱舞するのである。余は進んで此|長屋小路《ながやこうぢ》に入つた。
雨上《あめあがり》の路はぬかるみ[#「ぬかるみ」に傍点]、水溜《みづだまり》には火影《ほかげ》うつる。家は離れて見しよりも更に哀れな建てざまにて、新開地だけにたゞ軒先障子などの白木の夜目にも生々《なま/\》しく
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