小ぽけな村を此上もない土地のやうに思つて私が何度も北海道へ来て見ろと手紙ですゝめても出て来得《きえ》ないんでサ。」
余は此男の為す処を見、其語る処を聞いて、大に得る処があつたのである。よしや此一小旅店の主人は、余が思ふ所の人物と同一でないにせよ、よしや余が思ふ所の人物は、此主人より推して更らに余自身の空想を加へて以て化成したる者にせよ、彼はよく自由によく独立に、社会に住んで社会に圧せられず、無窮の天地に介立して安んずる処あり、海をも山をも原野をも将《は》た市街をも、我物顔に横行濶歩して少しも屈托せず、天涯地角到る処に花の香《かんば》しきを嗅ぎ人情の温かきに住む、げに男はすべからく此の如くして男といふべきではあるまいか。
斯く感ずると共に余の胸は大《おほい》に開けて、札幌を出でてより歌志内に着くまで、雲と共に結ぼれ、雨と共にしほれて居た心は端《はし》なくも天の一方深碧にして窮りなきを望んだやうな気がして来た。
夜の十時頃散歩に出て見ると、雲の流《ながれ》急にして絶間《たえま》々々には星が見える。暗い町を辿《たど》つて人家を離れると、渓を隔てゝ屏風の如く黒く前面に横《よこた》はる杣山
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