雨を眺めることは決して楽しいものでない。余は端《はし》なく東京の父母や弟や親しき友を想ひ起して、今更の如く、今日まで我を囲みし人情の如何に温かであつたかを感じたのである。
 男子志を立て理想を追ふて、今や森林の中に自由の天地を求めんと願ふ時、決して女々《めゝ》しくてはならぬと我とわが心を引立《ひきたて》るやうにしたが、要するに理想は冷やかにして人情は温かく、自然は冷厳にして親しみ難く人寰《じんくわん》は懐かしくして巣を作るに適して居る。
 余は悶々として二時間を過した。其中《そのうち》には雨は小止《こやみ》になつたと思ふと、喇叭の音《ね》が遠くに響く。首を出して見ると斜に糸の如く降る雨を突いて一輛の馬車が馳せて来る。余は此馬車に乗込んで再び先の停車場へと、三浦屋を立つた。
 汽車の乗客は数《かぞ》ふるばかり。余の入つた室は余一人であつた。人独り居るは好ましきことに非ず、余は他の室に乗換へんかとも思つたが、思い止まつて雨と霧との為めに薄暗くなつて居る室の片隅に身を寄せて、暮近くなつた空の雲の去来《ゆきゝ》や輪をなして回転し去る林の立木を茫然と眺めて居た。斯《かゝ》る時、人は往々無念無想の裡《うち》に入るものである。利害の念もなければ越方《こしかた》行末の想《おもひ》もなく、恩愛の情もなく憎悪の悩もなく、失望もなく希望もなく、たゞ空然として眼を開き耳を開いて居る。旅をして身心共に疲れ果てゝ猶ほ其身は車上に揺られ、縁もゆかりもない地方を行く時は往々にして此《かく》の如き心境に陥るものである。かゝる時、はからず目に入つた光景は深く脳底に彫《ゑ》り込まれて多年これを忘れないものである。余が今しも車窓より眺むる処の雲の去来《ゆきゝ》や、樺《かば》の林や恰度《ちやうど》それであつた。
 汽車の歌志内の渓谷に着いた時は、雨全く止みて日は将《まさ》に暮れんとする時で、余は宿るべき家のあて[#「あて」に傍点]もなく停車場を出ると、流石《さすが》に幾千の鉱夫を養ひ、幾百の人家の狭き渓《たに》に簇集《ぞくしふ》して居る場所だけありて、宿引なるものが二三人待ち受けて居た。其一人に導かれ礫《いし》多く燈《ともしび》暗き町を歩みて二階建の旅人宿《はたごや》に入り、妻女の田舎なまりを其儘、愛嬌も心かららしく迎へられた時は、余も思はず微笑したのである。
 夜食を済すと、呼ばずして主人は余の室《へや》
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