その顔は見えないが、路にぬぎ捨てある下駄を見ると年若の女ということが分る……僕は一切夢中で紅葉館《こうようかん》の方から山内へ下りると突当《つきあたり》にあるあの交番まで駈《か》けつけてその由を告げました……」
「その女が君の恋していた少女《むすめ》であったというのですかね」と近藤は冷ややかに言た。
「それでは全《まる》で小説ですが、幸に小説にはなりませんでした。
「翌々日の新聞を見ると年は十九、兵士と通じて懐胎したのが兵士には国に帰って了《しま》われ、身の処置に窮して自殺したものらしいと書いてありました、ともかく僕はその夜|殆《ほとん》ど眠りませんでした。
「然《し》かし能《よ》くしたもので、その翌日|少女《むすめ》の顔を見ると平常《ふだん》に変っていない、そしてそのうっとり[#「うっとり」に傍点]した眼に笑《えみ》を含んで迎えられると、前夜からの心の苦悩は霧のように消えて了いました。それから又一月ばかりは何のこともなく、ただうれしい楽しいことばかりで……」
「なるほどこれはお安価《やす》くないぞ」と綿貫が床を蹶《け》って言った。
「まア黙って聴《き》きたまえ、それから」と松木は至極
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