て志村であることを知った。彼は一心になっているので自分の近《ちかづ》いたのに気もつかぬらしかった。
おやおや、彼奴《きゃつ》が来ている、どうして彼奴は自分の先へ先へと廻《ま》わるだろう、忌《い》ま忌《い》ましい奴だと大《おおい》に癪《しゃく》に触《さわ》ったが、さりとて引返えすのはなお慊《いや》だし、如何《どう》してくれようと、そのまま突立《つった》って志村の方を見ていた。
彼は熱心に書いている。草の上に腰から上が出て、その立てた膝《ひざ》に画板が寄掛《よせか》けてある、そして川柳の影が後《うしろ》から彼の全身を被い、ただその白い顔の辺《あたり》から肩先へかけて楊《やなぎ》を洩《も》れた薄い光が穏かに落ちている。これは面白ろい、彼奴《きゃつ》を写してやろうと、自分はそのまま其処《そこ》に腰を下して、志村その人の写生に取りかかった。それでも感心なことには、画板に向うと最早志村もいまいましい奴など思う心は消えて書く方に全く心を奪《と》られてしまった。
彼は頭《かしら》を上げては水車を見、また画板に向う、そして折り折りさも愉快らしい微笑を頬《ほお》に浮べていた。彼が微笑するごとに、自分
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