いに何事をもなさず何をしでかすることなく一生|空《むな》しく他《ひと》の厄介で終わるということは彼にとって多少の苦痛であった。
 希望なき安心の遅鈍なる生活もいつしか一月ばかり経《た》って、豊吉はお花の唱歌を聞きながら、居眠ってばかりいない、秋の夕空晴れて星の光も鮮《あざ》やかなる時、お花に伴われてかの小川の辺《ほとり》など散歩し、お花が声低く節《ふし》哀れに唱うを聞けばその沈みはてし心かすかに躍りて、その昔、失敗しながらも煩悶《はんもん》しながらもある仕事を企ててそれに力を尽くした日の方が、今の安息無事よりも願わしいように感じた。
 かれは思った、他郷《よそ》に出て失敗したのはあながちかれの罪ばかりでない、実にまた他郷の人の薄情《つれな》きにもよるのである、さればもしこのような親切な故郷の人々の間にいて、事を企てなば、必ず多少の成功はあるべく、以前のような形《かた》なしの失敗はあるまいと。
 かれは自分を知らなかった。自分の影がどんなに薄いかを知らなかった。そして喜んで私塾設立の儀を承諾した、さなきだにかれは自分で何らの仕事をか企てんとしていて言い出しにくく思っていたところであるから。
「杉の杜《もり》の髯《ひげ》」の予言のあたったのはここまでである。さてこの以後が「髯」の予言しのこした豊吉の運命である。

 月のよくさえた夜の十時ごろであった。大川が急に折れて城山《じょうざん》の麓《ふもと》をめぐる、その崖《がけ》の上を豊吉|独《ひと》り、おのが影を追いながら小さな藪路《やぶみち》をのぼりて行く。
 藪の小路《こみち》を出ると墓地がある。古墳累々と崖の小高いところに並んで、月の光を受けて白く見える。豊吉は墓の間を縫いながら行くと、一段高いところにまた数十の墓が並んでいる、その中のごく小さな墓――小松の根にある――の前に豊吉は立ち止まった。
 この墓が七年前に死んだ「並木善兵衛之墓」である、「杉の杜の髯」の安眠所である。
 この日、兄の貫一その他の人々は私塾設立の着手に取りかかり、片山という家《うち》の道場を借りて教場にあてる事にした。この道場というは四|間《けん》と五間の板間《いたのま》で、その以前豊吉も小学校から帰り路、この家の少年《こども》を餓鬼大将として荒《あば》れ回ったところである。さらに維新前はお面《めん》お籠手《こて》の真《まこと》の道場であった。

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