しうわさしていた人々はみんなびっくりした。
豊吉|二十《はたち》のころの知人みな四十五十の中老《ちゅうろう》になって、子供もあれば、中には孫もある、その人々が続々と見舞にくる、ことに女の人、昔美しかった乙女《おとめ》の今はお婆《ばあ》さんの連中が、また続々と見舞に来る。
人々は驚いた、豊吉のあまりに老いぼれたのに。人々は祝った、その無事であッたを。人々は気の毒に思った、何事もなし得ないで零落《おちぶ》れて帰ったのを。そして笑った、そして泣いた、そして言葉を尽くして慰めた。
ああ故郷《ふるさと》! 豊吉は二十年の間、一日も忘れたことはなかった、一時の成功にも一時の失敗にも。そして今、全然失敗して帰ッて来た、しかしかくまでに人々がわれに優しいこととは思わなかった。
彼は驚いた、兄をはじめ人々のあまりに優しいのに。そして泣いた、ただ何とはなしにうれしく悲しくって。そしてがっかり[#「がっかり」に傍点]して急に年を取ッた。そして希望なき零落の海から、希望なき安心の島にと漂着した。
かれの兄はこの不幸なる漂流者を心を尽くして介抱した。その子供らはこの人のよい叔父にすっかり、懐《なつ》いてしまった。兄貫一の子は三人あって、お花というが十五歳で、その次が前《さき》の源造、末が勇《いさむ》という七歳《ななつ》のかあいい児《こ》である。
お花は叔父を慰め、源造は叔父さんと遊び、勇は叔父さんにあまえた。豊吉はお花が土蔵《くら》の前の石段に腰掛けて唱《うた》う唱歌をききながら茶室《はなれ》の窓に倚《よ》りかかって居眠り、源造に誘われて釣りに出かけて居眠りながら釣り、勇の馬になッて、のそのそと座敷をはいまわり、馬の嘶《な》き声を所望《しょもう》されて、牛の鳴くまねと間違えて勇に怒《おこ》られ、家《うち》じゅうを笑わせた。
かかる際《ひま》にお花と源造に漢書の素読《そどく》、数学英語の初歩などを授けたが源因《もと》となり、ともかく、遊んでばかりいてはかえってよくない、少年《こども》を集めて私塾《しじゅく》のようなものでも開いたら、自分のためにも他人《ひと》のためにもなるだろうとの説が人々の間に起こって、兄も無論賛成してこの事を豊吉に勧めてみた。
豊吉は同意した。そして心ひそかに歓《よろこ》んだ、その理由《わけ》は、かれ初めより無事に日を送ることをよろこばなかった、のみならずつ
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