す。母も僕に遇《あ》うことを好みません。母の眼《め》には成程僕が怨霊の顔と同じく見えるでしょうよ。僕は怨霊の児《こ》ですもの!
 僕には母を母として愛さなければならん筈《はず》です、然《しか》し僕は母が僕の父を瀕死《ひんし》の際《きわ》に捨て、僕を瀕死の父の病床に捨てて、密夫《みっぷ》と走ったことを思うと、言うべからざる怨恨《えんこん》の情が起るのです。僕の耳には亡父《なきちち》の怒罵《どば》の声が聞こえるのです。僕の眼《め》には疲れ果《はて》た身体《からだ》を起して、何も知らない無心の子を擁《いだ》き、男泣きに泣き給《たも》うた様が見えるのです。そして此《この》声を聞き此|様《さま》を見る僕には実に怨霊の気が乗移《のりうつ》るのです。
 夕暮の空ほの暗い時に、柱に靠《もた》れて居《い》た僕が突然、眼《まなこ》を張り呼吸《いき》を凝《こら》して天の一方を睨《にら》む様を見た者は母でなくとも逃げ出すでしょう。母ならば気絶するでしょう。
 けれども僕は里子のことを思うと、恨《うらみ》も怒《いかり》も消えて、たゞ限りなき悲哀《かなしみ》に沈み、この悲哀の底には愛と絶望が戦うて居るのです。
 
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