《ひとしお》声を潜め『この頃《ごろ》は其怨霊が信造に取ついたらしいよ。』
『まア嫌《いや》な!』里子は眉《まゆ》を顰《ひそ》めました。
『だってね、如何《どう》かすると信造の顔が私には怨霊そっくりに見えるのよ。』
それで僕に不動様を信じろと勧めるのです。けれども僕にはそんな真似《まね》は出来ないから、里子と共に色々と怨霊などいうものの有るべきでないことを説いたけれど無益でした。母は堅く信じて疑がわないので、僕等も持余《もてあま》し、此《こ》の鎌倉へでも来て居て精神を静めたらと、無理に勧めて遂《つい》に此処《ここ》の別荘に入《いれ》たのは今年の五月のことです。」
六
高橋信造は此処《ここ》まで話して来て忽《たちま》ち頭《かしら》をあげ、西に傾く日影を愁然《しゅうぜん》と見送って苦悩に堪《た》えぬ様であったが、手早く杯《さかずき》をあげて一杯飲み干し、
「この先を詳しく話す勇気は僕にありません。事実を露骨に手短に話しますから、其《それ》以上は貴様《あなた》の推察を願うだけです。
高橋梅《たかはしうめ》、則《すなわ》ち僕の養母は僕の真実の母、生《うみ》の母であったのです。妻《さい》の里子《さとこ》は父を異《ことに》した僕の妹であったのです。如何《どう》です、これが奇《あや》しい運命でなくて何としましょう。斯《かく》の如《ごと》きをも源因結果の理法といえばそれまでです。けれども、かゝる理法の下に知らず/\此《この》身《み》を置《おか》れた僕から言えば、此天地間にかゝる惨刻《ざんこく》なる理法すら行なわるゝを恨みます。
先《ま》ず如何《どう》して此等《これら》の事実が僕に知れたか、其《その》手続を簡単に言えば、母が鎌倉に来てから一月後《ひとつきのち》、僕は訴訟用で長崎にゆくこととなり、其途中山口、広島などへ立寄る心組で居《い》ましたから、見舞かた/″\鎌倉へ来て母に此《この》事を話しますと、母は眼《め》の色を変《かえ》て、山口などへ寄るなと言います。けれども僕の心には生《うみ》の父母の墓に参る積《つもり》がありますから、母には可《よ》い加減に言って置いて、遂《つい》に山口に寄ったのです。
兼《かね》て大塚の父から聞いて居たから寺は直《す》ぐ分りました。けれども僕は馬場金之助《ばばきんのすけ》の墓のみ見出して、死《しん》だと聞《きい》た母の墓を見ないの
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