るものなり、菊塢《きくう》は奥州《おうしう》よりボツト出て、堺町《さかひてう》の芝居茶屋《しばゐぢやや》和泉屋《いづみや》勘《かん》十|郎《らう》方《かた》の飯焚《めしたき》となり、気転《きてん》が利《き》くより店の若衆《わかいしゆ》となり、客先《きやくさき》の番附《ばんづけ》配《くば》りにも、狂言《きやうげん》のあらましを面白《おもしろ》さうに話して、だん/\取入《とりい》り、俳優《やくしや》表方《おもてかた》の気にも入り、見やう聞真似《きゝまね》に発句《ほつく》狂歌《きやうか》など口早《くちはや》く即興《そくきよう》にものするに、茶屋《ちやや》の若者《わかいもの》には珍《めづら》しい奴《やつ》と、五代目|白猿《はくゑん》に贔屓《ひいき》にされ、白猿《はくゑん》の余光《よくわう》で抱一《はういつ》不白《ふはく》などの許《もと》へも立入《たちい》るやうになり、香茶《かうちや》活花《いけばな》まで器用で間《ま》に合《あは》せ、遂《つひ》に此人《このひと》たちの引立《ひきたて》にて茶道具屋《ちやだうぐや》とまでなり、口前《くちまへ》一《ひと》つで諸家《しよけ》に可愛《かあい》がられ、四十年
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