じん》、さきに国民之友《こくみんのとも》に委《くは》しく出《いだ》されたれば、誰人《たれびと》も知りたらんが、近頃《ちかごろ》一新聞《あるしんぶん》に菊塢《きくう》は無学《むがく》なりしゆゑ、詩仏《しぶつ》や鵬斎《ぼうさい》に詩文《しぶん》にてなぶり者《もの》にされたりといふ事《こと》見《み》えたるが、元《もと》より菊塢《きくう》、世才《せさい》には長《たけ》たれど学文《がくもん》はなし、詩仏《しぶつ》鵬斎《ぼうさい》蜀山《しよくさん》真顔《まがほ》千|蔭《かげ》春海《はるみ》等《ら》、当時《そのころ》の聞人《もんじん》の幇間半分《たいこはんぶん》なぶり者にせられしには相違《さうゐ》なし、併《しか》し諸名家《しよめいか》が菊塢《きくう》を無祝儀《むしゆうぎ》で取巻《とりまき》同様《どうやう》にする間《あひだ》に、菊塢《きくう》はまた諸名家《しよめいか》を無謝儀《むしやぎ》にて使役《しえき》せしなり、聞人《もんじん》といふものは何《いつ》の世にても我儘《わがまゝ》で高慢《かうまん》で銭《ぜに》も遣《つか》はぬくせに、大面《おほづら》で悪く依怙地《えこぢ》で、自分ばかりが博識《ものしり》が
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