彼等の燃るが如き信仰心に感動されない者はなからう。東洋人にもかかる美はしい信仰心存する以上、我々は決して彼等を輕侮すべきでないと告白して居る。我が入唐求法の僧侶の傳記も、法顯・玄奘のそれと同樣、一つの教訓書と認めても何等差支がない。今日宗教界の人々が、よく此等の傳記を反復翫味して、宗祖高僧の心を心とせられたならば、我が佛教の前途洋々たるべきこと疑を容れぬと思ふ。
(※[#ローマ数字2、1−13−22])當時入唐した我が國の僧侶は、一般に支那の僧侶から好遇を受けた。大師が長安に於て、惠果阿闍梨や般若三藏から、甘露を仰いだ次第は、已に申述べて置いた。慈覺大師でも、智證大師でも、その他の入唐僧侶でも、或は長安に於て、或は北支那の五台山に於て、或は南支那の天台山等に於て、支那の大徳から多大の利益を受けて居る。此等支那の大徳は、そのあらゆる蘊蓄を傾けて、海外の求法者を啓沃した。我が入唐僧侶の天分の卓越せることを認むると同時に、支那僧侶の好意をも忘るべきでない。ただに宗界に限らず、俗界の官民ともに、我が入唐僧侶に對して、手厚い保護世話を加へて居る。
一體我が國は過去千幾百年に亙つて、久しい間、
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