の濟詮といふ當時相當高名の僧侶が、入唐の志を懷き、智證大師に面謁して、彼國の風俗を問ひ、併せて支那語の教授を請はんとしたが、智證大師は相手にせぬ。默然一無[#レ]所[#レ]對といふ程の冷遇を示したから、濟詮は不平滿々として辭し去つた。智證大師はその弟子に向ひ、濟詮は才辯はあるが信念が薄い。彼は信仰の爲に入唐するのでなく、名聞の爲に入唐するのである。名聞の爲に入唐せんなどは、以ての外の心違ひであると訓戒されたといふ。誠に當時入唐求法の僧侶の大多數は、智證大師の申された如く、名聞利慾を超脱した、燃ゆるが如き信仰をもつて居つた。僧侶にかかる信仰あつたればこそ、佛法も興隆した譯である。
支那に於ける佛教の歴史を見渡しても、佛法の興隆と、僧侶の入竺求法とは、略一致して居る。數多き入竺求法の僧侶の中には、法顯や玄奘がある。法顯・玄奘の紀行や傳記は、七八十年も以前から西洋に翻譯されて居るが、此等の傳記を讀んだ彼地の一學者は、非常に感動して、次の如き告白をして居る。我々西洋人が東洋人を異端として排斥し、宗教的信仰心なきが如く輕侮するが、こは確に間違ひといはねばならぬ。法顯や玄奘の傳記を讀めば、誰人も
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