ことが必要で、それには羅針盤を使用せなければならぬが、羅針盤が航海に利用さるるに至つたのは、大師の時代より約三百年後の北宋の末期からである。大師の時代には、世界の何地でも、まだ航海に羅針盤を使用して居らぬ。從つてこの時代の航海は、日月星宿を目標にして方向を定めるといふ、至極不安心のものであつた。大師より約四百年の昔に、法顯がセイロンから南洋を經て支那に歸着した。その當時の航海の有樣を記して
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海中多有[#二]抄賊[#一]、遇輙無[#レ]全。大海彌漫無[#レ]邊、不[#レ]識[#二]東西[#一]、唯望[#二]日月星宿[#一]而進。若陰雨時、爲[#二]逐風[#一]去、亦無[#レ]所[#レ]准。至[#二]天晴已[#一]、乃知[#二]東西[#一]、還望[#レ]正而進。若値[#二]伏石[#一](暗礁)、則無[#二]活路[#一](『法顯傳』)。
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と申して居る。法顯その人も廣州へ入港する豫定が、難風に遇ひ方向を誤つて、今の山東の膠州灣附近へ漂着したのである。唐時代の航海の状態もほぼそれと同樣であつた。
唐時代でも、南洋方面から來る貿易船は鴿《はと》を
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