へたと申傳へて居るが、隨分有り勝のことであらう。海外から留學に來た一僧侶が、僅々二ヶ月にして、衆弟子を越えて、法燈繼承の大名譽を負うたことは、確に一部の者に奇怪驚愕の念を起さしめたに相違ない。是に由つても大師の資性の如何に非凡であり、また惠果阿闍梨の大師に對する信任の如何に深大であつたかを、想見し得て餘あると思ふ。
 眞言の教義は深密で、圖畫を借らねば、説明理會し難い點があるといふ阿闍梨の注意で、大師は供奉丹青博士の李眞らに依頼して、大曼荼羅十鋪を作らしめ、また供奉鑄博士の楊忠信らに依頼して、佛具十五事を作らしめた。供奉とは唐時代には一藝に卓越した者を選んで宮廷の供奉官とした。差當り我が宮内省御用掛といふ格である。楊貴妃の一族の楊※[#「金+りっとう」、第3水準1−92−92](楊國忠)などは、※[#「てへん+樗のつくり」、読みは「ちょ」、374−14]※[#「くさかんむり/捕」、読みは「ほ」、374−14]が上手といふので、供奉官となり、それが出世の緒で、遂に玄宗の晩年の宰相となつた。かかる供奉は有難くないが、丹青博士といへば、先づ今日の帝室技藝員に相當すべきであらう。
 唐は藝術最
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